『クリミナル・ラヴァーズ』では、リュックとアリスという高校生のカップルが、学校で顔見知りの生徒を殺し、その死体を捨てるために森に入っていく。ところが彼らは、その森のなかで「ヘンゼルとグレーテル」に酷似した設定に引き込まれ、森の男によって小屋に監禁されてしまう。男は凶暴で、逃げ出すためには彼を殺すしかないように見える。
フランソワ・オゾンの前作『ホーム・ドラマ』は、ジョン・ウォーターズを意識したような、サバービアの家族の物語だった。この新作もウォーターズの『デスペレート・リビング』を連想させる。『デスペレート・リビング』は、被害妄想癖のある郊外の主婦が夫を殺し、モートヴィルという無法者たちの王国に逃げ込むブラック・コメディで、ウォーターズはこの王国のイメージのもとになっているのは、『オズの魔法使』だと語っている。
均質化され、歴史や伝統が希薄なサバービアの生活には、"物語"が欠落している。それゆえ、ウォーターズもオゾンも、現代の日常と物語的な世界を対比的に描いている。オゾンがウォーターズに影響を受けていることは間違いないだろうが、『クリミナル・ラヴァーズ』では、この現代の日常と物語の関係というものが、さらに鋭く掘り下げられている。
この映画は一見、カップルが現実から物語の世界に引き込まれるドラマのように見える。しかし、同じ世界を見ているはずのカップルは、実は最初から世界を共有していない。オゾンは映画の前半で、カップルが殺人に至る過程のディテールをあえて省略し、後半で彼らのズレを次第に明らかにしていく。その後半ではリュックの眼差しを軸に、学校での殺人に至る過程と小屋でのドラマが並行して綴られる。
そのなかでリュックは、殺人を別な次元から見直し、現実と物語が逆転していく。
実はアリスは、空虚な日常に退屈し、虚構の世界を生きている。彼女は「不思議の国のアリス」のヒロインを演じているともいえる。だから、生徒を殺しても平気な顔をしているのに、森でウサギを轢いてしまうと激しく動揺する。リュックは、彼女のこの虚構に誘い込まれ、殺人を犯してしまったのだ。
そんなリュックは、虚構と物語の違いを身体で思い知る。アリスの虚構とは、単に現実から逃避するだけのものだが、物語とはもともと現実に深く根ざし、非常に過酷なものなのだ。つまり彼は、現実に根ざした物語の残酷な洗礼を受けることによって、現実とすりかえられた虚構を見極め、初めて心の痛みと罪悪感を覚えるのである。
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