ことの終わり
The End of the Affair  The End of the Affair
(1999) on IMDb


1999年/イギリス=アメリカ/カラー/101分/ヴィスタ/ドルビSRD・SDDS
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(未発表)

 

 

文学的な表現を映画的な表現に置き換えることの難しさ
美しさに秘められた官能性、禁欲性、そして生の儚さ

 

 ニール・ジョーダン監督の『ことの終わり』は、戦後間もない1946年のロンドンから物語が始まる。作家のベンドリックスは、再会した旧友ヘンリーから彼の妻サラが浮気しているらしいと相談を持ちかけられ、心中穏やかではいられなくなる。

 というのも彼はかつてサラと愛人関係にあったからだ。その不倫の恋は戦争の最中、44年の夏に突然終わりを告げた。情事の後で二人がいた建物が爆撃を受け、気絶していた彼が意識を取り戻すとサラは消え去っていた。

 そんな過去があるため、彼女を忘れられないベンドリックスは、探偵に調査を依頼し、彼女の日記を手に入れるが…。

 監督がニール・ジョーダンだと思うと、やはり落胆せざるをえない。この作品が一見いい映画のように見えるのは、まず何よりもグレアム・グリーンの原作、そのストーリーの持つ力のおかげだ。

 それに加えて俳優やロケーション、マイケル・ナイマンの繊細な音楽も確かに魅力的ではあるが、だからといって「映画」として優れていることにはならない。ジョーダンは原作を完全に映画的な表現に置き換えることができず、半端なものにしている。

 それが最も明確に表れているのが、ベンドリックスがサラの日記を読む場面だろう。ここで彼は、なぜサラが唐突に彼らの関係を終わりにしたのか、その理由をついに知ることになる。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   ニール・ジョーダン
Neil Jordan
原作 グレアム・グリーン
Graham Greene
撮影 ロジャー・プラット
Roger Pratt
編集 トニー・ローソン
Tony Lawson
音楽 マイケル・ナイマン
Michael Nyman
 
◆キャスト◆
 
モーリス・ベンドリックス   レイフ・ファインズ
Ralph Fiennes
サラ・マイルズ ジュリアン・ムーア
Julianne Moore
ヘンリー・マイルズ スティーヴン・レイ
Stephen Rea
パーキス氏 イアン・ハート
Ian Hart
スマイス神父 ジェイソン・アイザックス
Jason Isaacs
-
(配給:ソニー・ピクチャーズ)
 

 そんな場面でジョーダンは、過去の出来事を描いた映像を再び持ち出し、そこに日記の内容をナレーションで重ねる。これは映画としては、想像力に欠ける安易でお粗末な表現であり、下品な謎解き以外のなにものでもない。これなら、ベンドリックスの表情だけを映している方がまだましだろう。そういう底の浅さを、作品の節々に感じてしまうのだ。

 とはいうものの、ジュリアン・ムーアの輝きには一見の価値はある。ポール・トーマス・アンダーソンの『ブギーナイツ』やトッド・ヘインズの『SAFE』のような、内面の病理によって崩れていく彼女の姿は忘れ難いし、ロバート・アルトマンの『クッキー・フォーチュン』のおちゃめな残酷さも魅力的だが、女としての官能性と信仰の禁欲性、そして生の儚さをその美しさのなかに秘めるこの映画の彼女も実に素晴らしい。


(upload:2013/02/11)
 
《関連リンク》
ジュリアン・ムーア――アメリカの現実と幻想の
狭間に立つ“サバービアのヒロイン”
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トッド・ヘインズ 『SAFE』 レビュー ■
バート・フレインドリッチ 『家族という名の他人』 レビュー ■
ポール・トーマス・アンダーソン 『ブギーナイツ』 レビュー ■
ロバート・アルトマン 『クッキー・フォーチュン』 レビュー ■
リサ・チョロデンコ 『キッズ・オールライト』 レビュー ■

 
 
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