この映画に描かれる陰謀については、いささか辻褄の合わないところもあるように思えるが、主人公の女と男の非常に象徴的なドラマが、それを補っている。女は、アフリカの(架空の国)マトボで生まれ育ち、5年前から国連で通訳として働いているシルヴィア。男は、妻を亡くしたばかりでありながらシークレット・サーヴィスの仕事に復帰したケラー。
そんなふたりのドラマで注目しなければならないのは、それぞれの職務と個人的な感情の距離だ。脚本は、その距離や変化を巧みにとらえ、"復讐"というものを強調していく。
シルヴィアは、会議の終了後に偶然、間もなく国連で演説することになっているマトボのズワーニ大統領を亡き者にしようとする陰謀の密談を耳にしてしまう。その暗殺計画に関する捜査を開始したケラーは、シルヴィアに疑惑の目を向け、調査の結果、彼女の両親と妹が、ズワーニの圧政の犠牲になったことが明らかになる。そしてふたりは激しく対立する。
この対立は、最初はそれぞれの職務ゆえの対立に見える。しかし、ドラマが展開し、彼らが背負う過去が見えてくるに従って、個人的な体験と感情が深く関わっていることがわかってくる。ケラーの妻は、自分から夫のもとを去ったのだが、彼の目から見れば、彼女を奪った男に殺されたも同然だ。男が生きていれば、ケラーは間違いなく復讐していた。
そんな心の傷が癒えないまま仕事に復帰した彼は、職務ゆえに疑惑を晴らそうとしているだけではなく、自分をシルヴィアに重ね、彼女の立場であれば復讐は当然のことだと考えている。一方、シルヴィアは、過去の悲しみを見つめ、彼女がそのなかで育ったクー族の復讐を否定する世界観を受け入れ、国連に活路を見出そうとしてきた。
個人的な感情から復讐を肯定するケラーは、まさにいまのアメリカだ。彼は、国連という境界を無視し、シルヴィアも自分と同じだとはなから決めつける。そんな図式があるからこそ、アメリカの看板を背負ったケラーが、国連にずけずけと踏み込もうとしたときに、警備員からここは国連だといって、足止めを食わされる皮肉が生きてくる。
だが、ふたりの職務の背後で、それぞれに個人的な感情が作用しているということは、さらなる悲劇が起こって、立場が変わるということもあり得る。ケラーは、シルヴィアの警護にあたるうちに、彼女を理解し、アメリカから国連に近づいていく。一方、シルヴィアは、彼女にとって最も大切な人間たちを失う。その結果、彼らの立場は逆転する。
そして、国連の中と外で起こることのコントラストが、その逆転を際立たせることになる。国連の外、すなわちアメリカでは、凄惨な爆破テロが起こる。これに対して、国連の中で起ころうとしていることには裏がある。そのコントラストは、ある意味でアメリカと国連の違いを物語っているともいえる。しかし、国連からアメリカへと変貌したシルヴィアは、その裏を表に、つまり国連をアメリカに変えてしまおうとするのだ。 |