フレデリック・フォンテーヌ監督の『ポルノグラフィックな関係』という映画のなかには、セックスと愛をめぐって実に多様な要素が混在している。
女は性的な幻想(ファンタズム)を現実のものにするために、男と出会い、ふたりの関係がはじまる。ところが彼らのあいだには恋愛感情が芽生え、やがて別れの時が訪れる。それはひとつの事実ではあるが、彼らが同じ時間と空間を共有したとしても、感じていることは決して同じではない。
しかも人はこのような過去の恋愛体験をそのまま記憶にとどめるのではなく、自分という人間をどう考え、これからどう生きていこうとするかによって塗り替えていくものだ。
さらにこの映画では、自分たちの体験を彼らがそれぞれに第三者(あるいはカメラ)に語るという行為が加わる。この第三者の存在や自分が過去を回想し、語る行為が記録に残るという事実もまた、彼らの感情や記憶に影響を及ぼすことになる。
たとえば、第三者に告白を始めるとき、人はこれから語ることよりも、まず自分自身を意識するものだろう。彼女は、性的な幻想へのこだわりを説明しながら、また同じことをするかもしれないと語る。一方彼は、自分がロマンティストだと断った上で、出会いのきっかけとなった雑誌を持ちだしてくる。その姿勢には、彼女の積極的な性格、彼のナイーブで内向的な性格が表れている。
そんな彼らが、もし自分の体験を言葉で語ることなく、さらに時が過ぎ去っていけば、この過去の出来事はそれぞれの性格や生き方に沿って塗り替えられていくことだろう。しかしここでは、質問に答えることによって記憶がより分けられ、男女それぞれにとって最も貴重な瞬間が浮き彫りにされる。それはかつて彼らが流した涙が雄弁に物語っている。
彼女が涙を流すのは、ただセックスをするのではなく、身体で愛し合うことを決め、それを実行した後のこと。彼女にとっては、あくまでセックスから入りながら、そのセックスのなかに愛を感じられることが、どうしていいかわからなくなるほど深い喜びとなる。
一方彼が涙を流すのは、カフェで彼女から愛を告白されたときのこと。相手に好意を持っても自分から告白できない人間である彼は、おそらくは、告白がありえないセックスだけの関係に自分が楽になれる場所を求めたのだろう。しかし実際には彼は彼女に惹かれ、セックスを越えた彼の想いが、彼女から愛の告白を導きだしたことが無上の喜びとなる。
彼らの告白は、それからさらに別れの時とその後へと進んでいくが、彼らは胸のうちでそれぞれにこの貴重な瞬間をかみしめている。そして彼らの記憶と感情は変化している。彼女は、たとえこれから先に別の男と同じことを試みたとしても、その喜びが甦りはしないことを身体と心で感じとる。一方彼が雑誌を保管しているのも、ロマンティストであるからではない。
その雑誌は、これから先に自分が傷つくのを恐れることがあったとしても、常に戻るべき場所があることの証となっているのだ。 |