ハリエット
Harriet


2019年/アメリカ/英語/カラー/125分/シネマスコープ
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(初出:『ハリエット』劇場用パンフレット)

 

 

ハリエットが聞いた神の声と
アフリカ文化

 

[Story] 1849年アメリカ、メリーランド州。ブローダス農場の奴隷ミンティ(シンシア・エリヴォ)は、幼いころから過酷な労働を強いられていた。そんな彼女の願いはただ1つ、いつの日か自由の身となって家族と共に人間らしい生活を送ること。ある日、借金の返済に迫られた農場主がミンティを売りに出す。遠く離れた南部に売り飛ばされたら、もう二度と家族には会えず、お互いの消息すらわからなくなってしまう。脱走を決意したミンティは、奴隷制が廃止されたペンシルベニア州を目指してたった1人で旅立つのだった。

[以下、本作のレビューになります]

 ケイシー・レモンズ監督の『ハリエット』では、奴隷の通称ミンティ(アラミンタ・ロス)が自由州への逃亡に成功し、ハリエット・タブマンと改名し、“地下鉄道”の車掌として活躍する姿が描き出される。

 キャサリン・クリントンの伝記『自由への道 逃亡奴隷ハリエット・タブマンの生涯』を読むと、ハリエットが地下鉄道の車掌のなかでも異質な存在だったことがわかる。大多数の車掌は、ごく限られた区間に限って逃亡者に付き添うだけであり、奴隷を引き抜くために危険を冒して南部に侵入する者はごくわずかで、しかも彼女が関わるまではみな白人だったという。

 逃亡奴隷で女性のハリエットは、どうして捕まることもなく、次々と成果を上げることができたのか。本作で印象に残るのは、車掌として活動するハリエットが見せる特殊な能力だろう。彼女はその能力によって活路を切り拓いていく。先述の伝記には、ハリエットが「自分の予言能力は千里眼のようなものだと信じていた」とあり、これはフィクションというわけではない。

 ハリエットのこの能力には、様々な要素が複雑に絡み合っているように思える。彼女は思春期の頃に、奴隷監督から誤って鉛の重りをぶつけられ、頭部に重傷を負い、回復後にナルコレプシー(睡眠発作)に似た症状に見舞われるようになった。また、彼女は父親とともに材木業の現場で働いていたことがあり、その時期に森林におけるサバイバル術を身につけたともいわれている。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   ケイシー・レモンズ
Kasi Lemmons
撮影監督 ジョン・トール
John Toll
編集 ワイアット・スミス
Wyatt Smith
作曲 テレンス・ブランチャード
Terence Blanchard
 
◆キャスト◆
 
ハリエット   シンシア・エリヴォ
Cynthia Erivo
ウィリアム・スティル レスリー・オドム・Jr.
Leslie Odom Jr.
ギデオン・ブローダス ジョー・アルウィン
Joe Alwyn
マリー・ブキャナン ジャネール・モネイ
Janelle Monae
エリザ・ブローダス ジェニファー・ネトルズ
Jennifer Nettles
-
(配給:パルコ)
 

 ハリエットに導かれて自由州を目指す奴隷たちの目には、そんな彼女がどのように映ったのだろうか。右も左もわからない場所で突然彼女が発作に襲われたら、彼らは不安に駆られたに違いない。そして、無事に自由州にたどり着いたときには、彼女に畏敬の念を抱いたことだろう。本作には、そんな逃亡者たちの立場や感情を垣間見ることもできる。

 しかしより重要なのは、ハリエットの能力を独自の視点から掘り下げていることだ。本作の導入部では、ある疑問が浮かぶ。物語は、ミンティの夫ジョンが、弁護士から手紙が届いたことを彼女に伝えるところから始まる。そのふたりのやりとりは、彼女には字が読めないことを示唆している。やがて逃亡を決意したミンティは、聖書にちなんだ霊歌で母親に別れを告げる。

 では、彼女はそれをどこで覚えたのか。先述の伝記にはそのヒントになるような記述がある。

「少女から若い女性へと成長したアラミンタは、自分のキリスト教信仰の高まりを経験し、それは、それ以後、終生変わることのなかった深い信仰の基盤となった。おそらく幼少の頃にかなり重病であったことから、母親ができるだけ娘の病床に寄り添いながら、自然に聖書の教えで娘の頭をいっぱいにしたことによると思われる。読み書きは教えられなかった。宗教上の知識はすべて、同じく読み書きができなかった両親から聴いて覚えた聖書を拠りどころとして吸収したのであろう」

 筆者がこの記述に興味を覚えるのは、そこにアフリカ文化との深い繋がりを感じるからだ。奴隷制によってアフリカ文化は失われていったが、形にならない精神的な文化は世代を超えて引き継がれた。具体的には、超自然的な力の信仰や音楽、文字によらずに口から口へと伝えられる口承文芸などだ。

 ハリエットは、そうした根絶されることがなかったアフリカ文化をしっかりと引き継いでいるように見える。本作では、そんな彼女の世界観、彼女に世界がどう見えていたのかが、「見えるもの」と「見えないもの」を対置させることで巧みに表現されている。

 たとえば、本作の冒頭には、弁護士から送られた手紙のエピソードがあり、そのしばらく後には、ミンティが奴隷主に天罰が下るように祈る場面がある。その手紙は見えるものを、祈りは見えないものを意味している。もっとわかりやすいのは、夫を救出するために南部に向かう決意をしたハリエットとウィリアム・スティルの会話だろう。スティルが「看板や地図や文字を読めるのか?」と問うと、彼女は「神の声は聞こえる」と答えるのだ。

 そして、南部にも奴隷主や奴隷監督には見えない世界がある。グリーン牧師は表向きは奴隷制を肯定する説教を行なっているが、見えないところで地下鉄道と繋がり、プランテーションには同様のワークソングが響いているが、ハリエットの霊歌を耳にすると奴隷たちはすぐに行動を起こす。北村崇郎の『ニグロ・スピリチュアル 黒人音楽のみなもと』には、ハリエットについてこんな記述がある。

「彼女が近くに来ていると知ると、奴隷たちは「いざ行け、モーセよ」(Go Down, Moses)を歌って、近隣のプランテイションの奴隷たちに信号を送ったという」

 こうしたことを踏まえると、それまでみな白人だった車掌のなかで、ハリエットが頭角を現したことも不思議ではなくなる。彼女はアフリカ文化に深く根差した力を備え、モーセのように奴隷を導くことができたのだろう。

《参照/引用文献》
『自由への道 逃亡奴隷ハリエット・タブマンの生涯』キャサリン・クリントン●
廣瀬典生訳(晃洋書房、2019年)
『ブルースの魂/白いアメリカの黒い音楽』リロイ・ジョーンズ●
上林澄雄訳(音楽之友社、1965年)
『ニグロ・スピリチュアル 黒人音楽のみなもと』北村崇郎●
(みすず書房、2000年)

(upload:2021/09/26)
 
 
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