[ストーリー] ル・アーブル。夜明け前、ガールフレンドがまだまどろみの中にいるベッドをそっと抜け出し、友人たちとサーフィンに出かけたシモン。しかし彼が再び彼女の元に戻ることはなかった。帰路、彼は交通事故に巻きこまれ、脳死と判定される。報せを受けた彼の両親は、その現実を受け止めることができない。医師はシモンが蘇生する可能性は低く、両親に移植を待つ患者のために臓器の提供を求めるのだが。その時間の猶予は限られている――。
パリ。音楽家のクレールは、自分の心臓が末期的症状であることを自覚している。彼女が生き延びるためには、心臓移植しか選択肢はない。しかし彼女は、他人の命と引き換えに、若くない自分が延命することの意味を自問自答している。そんな時、担当医からドナーが見つかったとの連絡が入る。[プレスより引用]
『あさがくるまえに』は、『聖少女アンナ』(10)、『スザンヌ』(13)で注目されたフランスの新鋭女性監督カテル・キレヴェレの3作目の長編です。「CDジャーナル」2017年9月号の映画評枠で本作を取り上げましたので、ぜひお読みください。
[以下、本作のレビューになります]
フランスの新鋭女性監督カテル・キレヴェレにとって3作目となる『あさがくるまえに』は、心臓移植を題材にしている。この映画では、サーフィンの帰りに事故に遭う若者、脳死と判定された彼がドナーになることに同意するかどうかの決断を迫られる両親、自分が生き延びるために心臓移植を選択すべきか迷う音楽家、臓器コーディネーターや手術を行う医師など、複数の人物が入り組む24時間のドラマが描かれる。
このように書くと一刻を争う切迫したドラマを思い浮かべるかもしれないが、まったく違う。キレヴェレのスタイルは、14歳の少女の成長を描くデビュー作『聖少女アンナ』(10)の時点ですでに確立されていた。その物語では、劇的なことは起こらないし、説明的な描写も極力排除され、その代わりに、人がみな様々な巡り合わせのなかで、他の誰かを生かし、誰かに生かされているような独自の世界が浮かび上がってくる。だから、そんな繋がりによって、脇役も含めた登場人物それぞれの存在感が忘れがたい印象を残す。
この新作では、そんなキレヴェレの視点と表現がさらに深みを増している。たとえば、息子の脳死という現実すら受け止めがたいのに、臓器提供の判断を迫られる両親のエピソードだ。一般的な物語であれば、その後には彼らの話し合いが描かれるはずだが、この映画にそんな場面はない。別居中の夫婦は、病院から夫が働く造船所に向かい、妻は、そこで寝泊りしているらしい夫が、ヨットの部品を研磨する姿を静かに見つめる。そこに、息子と彼の恋人の出会いを描く回想が挿入され、この夫婦が結論を伝えるために病院に向かう場面に切り替わる。
夫婦の関係をとらえるこの表現は、キレヴェレならではといえる。別居中の夫には妻の知らない生活があり、それは望ましいものではないかもしれないが、夫婦は息子を通して感情的に深く繋がり、さらに大きな繋がりの一部になっていく。この映画に登場する人々はみな、ひとりになると別の顔を見せ、孤独でもあるが、そんな彼らが夫婦と同じように心臓をめぐって感情的に繋がり、その連鎖が人の運命を変えていく。この映画は、若者が目覚めて海に向かうところから始まり、新たな目覚めで幕を下ろすことになる。 |