吉田修一のベストセラー『悪人』を李相日監督が映画化すると知ったときには期待が膨らんだ。筆者は李監督の『BORDER LINE』(02)という作品のことを思い出していた。
17歳の少年が起こした殺人事件の実話にインスパイアされたこの映画では、事件を起こして京浜地区から北海道に向かう少年と、それぞれに事情を抱えるタクシー運転手、ヤクザ、女子高生、主婦が絡み合う。李監督は、移動によって広がる空間と登場人物たちの秘めた想いを巧みに結びつけ、独自の表現で人と人の距離の変化を描き出してみせた。
この『BORDER LINE』の世界には、吉田修一の原作のそれに通じるものがある。一つの殺人事件をめぐって4人の男女やその家族が複雑に絡み合う。だが、鍵を握るのは人物だけではない。
物語が、福岡市と佐賀市を結ぶ国道や均質化されていく沿道の風景の描写から始まるように、地方都市の生活環境の変化や閉塞感、あるいは出会い系サイトなどが人物たちに影響を及ぼし、彼らの距離を意外なかたちで広げたり、消し去ったりする。だから映画化では『BORDER LINE』のようなアプローチが生きてくるだろうと思えたのだ。
ところが、映画『悪人』では、終盤の灯台の場面を除くと風景がほとんど前面に出ない。人物を中心としたドラマに終始するので、私たちを嫌な気分にさせるようなとらえどころのない閉塞感が漂わない。
確かに俳優たちの演技は印象に残り、ドラマに感動も覚える。特に、祐一の祖母・房江と佳乃の父・佳男の配置や対置には、印象に残る距離や繋がりが生み出されていた。だが、「いったい誰が本当の悪人≠ネのか」という疑問に簡単には答えが出せないのは、登場人物たちが環境に呪縛されているからではないのだろうか。
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