■■誰も知らないキリストの誕生日■■
クリスマスの12月25日といえば、ほとんどの人がキリストが誕生した日だと思っていることだろう。しかし、実際にはキリストが何日に生まれたかということは定かでないし、初期キリスト教の時代には、教会も教徒もキリストの誕生日にはそれほど関心がなく、祝う必要も感じていなかったという。そのわけは、言われてみればなるほどと頷ける。
キリストについてまず何よりも重要なことは、その死と復活にあった。だから、降誕を祝うよりも復活祭の方が大きな意味を持っていたのだ。
しかし、いくら死と復活が重要だといっても、それは誕生なくしては成立しない奇跡であり、キリストのこの世への来臨も重要なものになってくるのは、自然の成り行きといえる。キリストの誕生を祝う祝祭は、最初は異端的な東方教会で、キリストが洗礼を受けた日を1月6日と定め、洗礼によって神としてのキリストが初めて現れたことを祝う顕現祭として行われていた。
現在のようにキリストの誕生が12月25日に定められたのは、4世紀半ば、コンスタンティヌス帝統治下のローマでのことだったとされる。
では、いつ生まれたのか定かではないキリストの誕生日がなぜこの日になったのか、その事情はとても興味深いものがある。当時のローマでは、太陽神を崇拝する異教が大きな力を持ち、ほぼ冬至にあたる12月25日を太陽神を祭る祝祭日としていた。そこでコンスタンティヌス帝と教会の思惑が絡み合い、異教徒との対立や摩擦を生むことなくキリスト教が浸透するように、この日が降誕祭に選ばれたというのだ。
冬至を降誕祭の日にしたことは、クリスマスが世界に広がるひとつの要因になったといえる。なぜなら冬至というのは、一年のうちで昼の時間が一番短くなる日で、それから日増しに日が長くなっていくことから、この日に新しい太陽の誕生を祝うという習慣は、世界を見渡しても決して珍しいものではない。日本にも冬至の日には、ゆず湯に入ったり、小豆粥やカボチャを食べる習慣がある。
この日にカボチャを食べると風邪をひかないという言い伝えはよく知られている。ちなみに、ヨーロッパの国々のなかでも、エストニアやスカンディナヴィアでは、いまでも冬至をキリストの誕生日とみなす考え方が残っている地域があるという。
■■サンタクロース誕生の背景■■
12月25日のクリスマスは、異教的な要素を取り込む間口を作ったわけだが、それはサンタクロースにも現れている。クリスマスの伝統や習慣を見直す『Christmas!』という本には、サンタクロースの起源についてなかなか面白い話が紹介されている。
キリスト教以前の時代には、ゲルマン神話の主神ウォドンや北欧神話に登場するオーディンなど、冬至の祭のときに贈り物を運んできてくれる神が存在していた。言い伝えによれば彼らは、8本足の魔法の馬やトナカイが引くソリに乗って空を駆ける。特にオーディンは、家の扉がすべて閉めきられているときには、煙突から家に入り、贈り物を届けたといわれる。これはもうほとんどサンタクロースである。
異教徒たちはキリスト教に改宗しても、冬至の祭に不可欠なこうした神々に対する信奉は変わらなかった。
そこで、この神々の役割を引き継ぐために担ぎだされたのが、4世紀に小アジアのミラの司教だった聖ニコラウスだった。彼はお金持ちで、その富を喜んで人々に分け与えた。ある時、三人の娘たちの嫁入り持参金を作れない父親が、彼女たちを奴隷として売ろうとしていた。それを知ったニコラウスは、金貨の入った袋をその家に投げ入れた。一説によると、彼はその袋を煙突から投げ入れ、
洗濯物として干してあった靴下のなかに入ったという。サンタクロースは、異教の神とこの聖ニコラウスのイメージが結びつくようにしてできあがったというわけだ。
■■待降節とクリスマスにまつわる祝祭日■■
日本でクリスマスといえば、24日と25日の二日間に限られているが、伝統的にはクリスマス前の四週間を待降節と呼び、時間をかけて準備が進められていく。しかも、国によっては、その期間のなかにクリスマスと関連する別な祝祭日がある。
たとえば、聖ニコラウスの祝日である12月6日。彼の人気が根強いオーストリアやオランダでは、この日に子供たちが最初の贈り物をもらえる。特にオランダにおける人気は、17世紀にアメリカに渡ったオランダ人移民が、最初に建てた教会に彼の名前をつけたことからも伺うことができる。サンタクロースという呼び名は、聖ニコラウスのオランダ語の読みが英語に転化したのが始まりだという。
一方、スカンディナヴィアの国々では、聖ルチアの祝日である12月13日が、クリスマスに至る準備期間のなかでとても大切な日とされている。彼女は、4世紀初頭、ディオクレティアヌス帝時代に迫害を受け、若くして殉教した処女聖徒。言い伝えによれば彼女は、ローマのカタコンベ(初期キリスト教徒の地下墓所)に隠れている教徒たちに食べ物を運び、そのときに両手が使えるように、ロウソクを頭につけていたという。
彼女の物語は、福音書を運ぶ修道士たちによってスウェーデンに伝えられ、人々の心を揺さぶった。そこで聖ルチアの祝日が盛大に祝われるようになり、後にノルウェーやフィンランドにも広がった。ノルウェーではこの日に、少女たちが、白い服を着てロウソクを立てた冠をかぶって聖ルチアとなり、学校や病院などで祈祷式を行うのだという。
■■各国のクリスマス料理と伝統■■
クリスマスの料理というと、七面鳥やチキンなど肉料理という印象が強いが、ヨーロッパのイヴの家庭料理を見渡してみると、魚料理が目立つことに気づく。「南仏プロヴァンスの家庭料理ノート」では、こんなメニューが並んでいる「料理といえば、エスカルゴのアイオリ風、棒だらを煮込んだものやいろいろな魚、それにカリフラワーのサラダ、ほうれんそうとゆで卵など」。
また「イタリアの味」では、「24日は宗教上の関係から動物の肉は食べません。そのため魚中心のメニューになりますが、ロブスターのような高価な魚介類ではなく、身近な素材で質素に、つつましやかに祝います」と説明されている。そこでさらに調べてみると、待降節は厳密にそれを実践するわけではないが、つつしむという意味で断食の期間にあたり、イヴについては、クリスマスまで肉を控えるため、伝統的には魚料理を食べることがわかった。
イヴの食事ではたいていの場合、最後の晩餐にちなんで、12〜13種類の料理がテーブルに並ぶ。冒頭で紹介したchristmas.comでイタリアを覗いてみると、その根拠は定かではないが、イタリアでは七種類の魚を食べるという伝統もある。ちょっと異色なのがプロヴァンスで、伝統的には食事の締めくくりに、最後の晩餐にちなんだ13種類のデザートが出されるという。
メニュー以外にも興味深い伝統がある。リトアニアでは、その年に家族の誰かが亡くなった場合には、故人の席を用意し、皿に小さなロウソクを立て、食事のあいだ火を灯しておく。そして食事が終わっても、残り物はその晩は片付けない。そんなふうにして、死者の魂と一晩をともに過ごす。また、マケドニアでは、ファーザー・クリスマス(国によってサンタクロースはこう呼ばれる)と料理を分かち合うために、食事が終わってもテーブルはその晩はそのままにしておくのだという。
そして長いクリスマスの締めくくりになるのが、年が明けた後にくる1月6日の顕現祭。ヨーロッパの国々のなかには、この日に贈り物の交換をする国もある。また、キリスト降誕を祝いにきた東方の三博士(王様)にちなんで、知恵の実とされるナッツやドライフルーツを散りばめたリング型のお菓子、王様のガレットをこの日に食べるのが伝統になっている。
こうしてクリスマスの伝統や習慣を振り返ってみると、この祝祭がとても身近なものに思えてくる。罪とその贖いの意味が込められたツリーは、煩悩を除去して新年を迎える除夜の鐘に通じるものがあるし、食事を含めたその他の伝統も、お盆や正月のお節や七草粥などを連想させる。文化は違っても、本質的に共鳴する部分が多々あるということだ。そんなふうに考えてみると、クリスマスがこれまでとは違って見えてくるのではないだろうか。 |