伝説の対フォアマン戦が甦る映画『モハメド・アリ かけがえのない日々』の公開、アリの写真や愛用品を集めたイベント、写真集や評伝の刊行など、モハメド・アリが今また注目を浴びている。そんなアリの魅力を掘り下げる様々な試みのなかでも異色なのが、デイヴィス・ミラーが書いた『モハメド・アリの道』だ。
「アメリカではこの本が出たときに、ジャーナリズムを一面的にしか見ない人たちの間に混乱をまねくということもありました。アリについて書くことは私には綱渡りのような作業でした。私は、人々の間で神格化されたアリを脱神話化し、身近に感じられる彼の素晴らしさを再発見すると同時に、自分自身を見つめ直していきました。その結果、ジャーナリズムや真実とは何かという疑問を提示することになったのです」
この“綱渡り”の意味は実際に本を読むと非常によくわかる。この本が書かれるまでにはたくさんの紆余曲折があり、その紆余曲折そのものがこの物語だともいえるからだ。
身体が弱く自分の殻に閉じこもりがちの少年だったデイヴィスにとって、ヘヴィ級王座アリは唯一の希望であり憧れだった。そんな彼は自らも格闘家を目指すが、その後幾多の挫折を経て、家族を養うためにビデオ・ショップのマネージャーとなり、仕事に追われて30代後半まできてしまう。ところがそんなとき、偶然にもパーキンソン症候群に悩まされるアリその人に出会うことになる。
「アリが住んでいるケンタッキー州ルイヴィルにある店をまかされることになったときには、少年時代の気持ちは薄れつつありましたが、何かアリに会えるような予感がしました。実際にアリに会えて、こんな世紀末の時代にナイーブ過ぎると思われるかもしれませんが、自分では超越的な見えない力が働いているのを強く感じました。この出会いが転機になったのです」
しかしもちろん、偶然だけでこの物語が書き上げられたわけではない。アリとの出会い以前に下地はできていた。
「ハイスール時代には英語で何度も落第する落ちこぼれで、書くのはおろか本を読むことすらありませんでした。ところが格闘家の夢が挫折したとき、恋人の勧めで大学の創作のクラスに入ったことが救いになりました。小説は最高の芸術だと思うようになったのです。だからアリに会ったときも実はこの本に書かれている以上に書くことに固執していて、仕事が終わると、私の好きなティム・オブライエンやルイーズ・エルドリッジの小説を枕元に置いて、毎日何時間も文章を書く特訓をしていました」
著者がノンフィクション=ノヴェルともいうべきスタイルで、発病後の人間アリを生き生きと描くと同時に、少年時代の屈辱的な体験も含めて自分をさらけ出すことができたのは、そんなところに秘密があるに違いない。
「書いているときには感じませんでしたが、本が出てみたらまるでパンツを脱いで頭にかぶって外を歩いているような気分になりました(笑)。でもどんな体験であれ自分の一部を作品に反映するというのは、隠れた真実に至るためのある種の手段だと思います」
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