キャッスルロックといえば、キングの読者にはお馴染みのメイン州にある架空の田舎町だ。この長編では、キングが過去を清算するかのように、物語のなかでこの町そのものが地上から葬り去られる。
そのためにキングがひねり出したのは、住人たちの欲しいものが何でも手に入る不思議な骨董屋というアイデアだ。キングが紡ぎ出す恐怖のイメージは、常に登場人物たちの心の奥底にあるわだかまりと呼応するものであり、突き詰めれば彼らは自分の影に怯えるあまり破滅への道をたどることになる。
この骨董屋に足を踏み入れた人々もまた、それぞれに喉から手が出るほど欲しい物(の幻影)を格安で手にする代償として、自分の影に支配されていく。
しかもキングは、ある意味で“時代”を取引するともいえるこの骨董屋の商売を通して、古き良きアメリカが、がらがらと崩れ去っていくようなイメージを次々とたぐり寄せる。
たとえば、ある少年はS・コーファックス投手の56年のベースボール・カードの虜になり、主婦たちはエルヴィス愛用のサングラスや肖像画に目が眩み、アル中で人生を棒に振った男は、キツネのしっぽのアクセサリーを見た瞬間、55年の人生のなかで最良の一日が甦ってくる。
しかし、ひとたび彼らが甘い記憶にすがりついたとき、それらはキングのあの毒々しく際雑で過剰な表現のなかで欲望にまみれ、腐臭を放ち、朽ち果てていくことになる。しかも、キングはあのタッカーをアレンジし、50年代の亡霊を暗示するかのようなタッカー・タリスマンなる車まで登場させ、ノスタルジーに揺さぶりをかける。
この物語は、最終的にはマカロニ・ウエスタン顔負けの決闘やら宗教戦争、ダイナマイトによる町の破壊といった派手な展開にエスカレートしていく。そんなカタストロフィの起爆剤になるのが、住民ひとりひとりを苛む深く救いのない喪失感であるところに、病的ともいいたくなるようなキングの情念がにじみ出ている。 |