あるいは、こうした特徴を別な言葉で表現するならば、それは本書の原題である"In Retrospect(いま思えば)"に集約される。著者は、本文のなかでこの言葉を頻繁に繰り返す。ケネディの要請に応えて国防長官に就任し、ヴェトナムの政策に直面したとき、大統領と著者のあいだには、明確な大前提が存在していた。南ヴェトナム人が戦争を戦うのであり、南ヴェトナムの政治的安定がヴェトナム戦略の大前提になるということだ。しかしながら、実際には、様々な局面でこの前提に立ち返るべき機会が訪れるたびにそれが見過ごされ、いま思えばという言葉が繰り返されるのだ。
この言葉につづく著者の記述からは、得体の知れない共産主義の脅威にがんじがらめになっていくアメリカの姿が浮かび上がる。ケネディ政権には東南アジアに精通する専門家がいなかった。皮肉なことに50年代の赤狩りによって国務省のトップにいた東アジアや中国の専門家たちが追放されていた。そこで彼らは、ドミノ理論に象徴される共産主義は一枚岩という考え方に支配され、ホー・チ・ミンの運動の民族主義的な側面を完全に見落としてしまう。北ヴェトナム、中国、ソ連の情勢を正確に判断することができれば、アメリカの安全保障におけるヴェトナムの重要性について異なる見解を引き出し、交渉、撤退への道を拓ける機会もあったが、中国や北ヴェトナムの政治的な駆け引きに見られる過激な表現に過剰に反応し、道を誤ってしまう。
本書の結びには、こうした検証から得られた教訓が総括的に11項目に整理され、さらにこの教訓を念頭に置いた冷戦以後の時代の展望が綴られている。しかし、それがより現実的な教訓となるためには、まだ足りないものがある。本書では、アメリカ軍部の本音と北ヴェトナムや中国、ソ連の当時の戦略が実際にどのようなものであったのかは見えてこない。アメリカの武官たちが口を開き、ヴェトナム、中国、ロシアに眠る未公開の資料が明らかになるときに、本書の教訓はより現実的なものとなるのではないだろうか。
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