ハニフ・クレイシの『ぼくは静かに揺れ動く』で物語の語り手になるのは、6年間いっしょに暮らした妻や子供たちを捨てて、これから家を出て行こうとしている男だ。この小説では、彼が過ごす最後の一日の行動、眼差し、心に去来する様々な出来事などが克明に綴られていく。
男は中流に属し、豊かな生活を送っている。なにのなぜ出て行くのか。読者には、彼の物語が身勝手な言い訳の羅列のように感じられるかもしれない。それは必ずしも間違いではない。
▼この小説はフランスのパトリス・シェロー監督によって『インティマシー/親密』として映画化されているが、忠実な映画化ではなく、独自の脚色が施されている。
たとえば、妻については以下のように描写される。「知り合って十年になり、ほとんど何もかも知りつくし、そしてぼくにとってはもはや必要とはしなくなった女性」「彼女は不満を訴える女性たちの世代の出身なのだ。彼女は自分のことをフェミニストだと思っているが、ただ機嫌が悪くて怒りっぽいだけだ」
いまも忘れがたいある女性との関係についてはこのように語る。「すぐにもぼくらは親密なことこの上ない愛撫を交わし合うようになったが、個人的な質問をすることは差し控えていた。当時ぼくが気に入っていた付き合い方は、知らぬ同士でいることだった。感情が揺れ動くことを恐れていた、このぼくを責められる者など誰かいるというのか?」
さらに、自分の両親については、父親は意に満たない仕事をして一日の大半のエネルギーを無駄遣いし、母親は家を出たかったのに出られなかったと語る。
だが、主人公の独白は、決して単なる言い訳の羅列ではないし、家庭や愛やセックスだけを題材にした小説でもない。そこには、かつてスティーヴン・フリアーズ監督と組んで『マイ・ビューティフル・ランドレット』や『サミー&ロージィ』など、サッチャリズムと人種、ジェンダーの複雑な関係を色濃く反映した脚本を手がけてきたクレイシならではの視点が盛り込まれている。
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