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ぼくは静かに揺れ動く / ハニフ・クレイシ
Intimacy / Hanif Kureishi (1998)


2000年/中川五郎訳/アーティストハウス
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(初出:)

 

 

サッチャリズムと中流化の波の深い結びつき
これまで積み重ねられてきた歴史の終わり

 

 ハニフ・クレイシの『ぼくは静かに揺れ動く』で物語の語り手になるのは、6年間いっしょに暮らした妻や子供たちを捨てて、これから家を出て行こうとしている男だ。この小説では、彼が過ごす最後の一日の行動、眼差し、心に去来する様々な出来事などが克明に綴られていく。

 男は中流に属し、豊かな生活を送っている。なにのなぜ出て行くのか。読者には、彼の物語が身勝手な言い訳の羅列のように感じられるかもしれない。それは必ずしも間違いではない。

▼この小説はフランスのパトリス・シェロー監督によって『インティマシー/親密』として映画化されているが、忠実な映画化ではなく、独自の脚色が施されている。

 たとえば、妻については以下のように描写される。「知り合って十年になり、ほとんど何もかも知りつくし、そしてぼくにとってはもはや必要とはしなくなった女性」「彼女は不満を訴える女性たちの世代の出身なのだ。彼女は自分のことをフェミニストだと思っているが、ただ機嫌が悪くて怒りっぽいだけだ

 いまも忘れがたいある女性との関係についてはこのように語る。「すぐにもぼくらは親密なことこの上ない愛撫を交わし合うようになったが、個人的な質問をすることは差し控えていた。当時ぼくが気に入っていた付き合い方は、知らぬ同士でいることだった。感情が揺れ動くことを恐れていた、このぼくを責められる者など誰かいるというのか?

 さらに、自分の両親については、父親は意に満たない仕事をして一日の大半のエネルギーを無駄遣いし、母親は家を出たかったのに出られなかったと語る。

 だが、主人公の独白は、決して単なる言い訳の羅列ではないし、家庭や愛やセックスだけを題材にした小説でもない。そこには、かつてスティーヴン・フリアーズ監督と組んで『マイ・ビューティフル・ランドレット』や『サミー&ロージィ』など、サッチャリズムと人種、ジェンダーの複雑な関係を色濃く反映した脚本を手がけてきたクレイシならではの視点が盛り込まれている。


 
 

 

 まず注目したいのは、中流のジレンマだ。以下のような文章にそれが表れている。「中流よりもやや下の階級で、貧困と見せかけとが共存する郊外の出身のぼくとしては、中流階級がどれほど恵まれた暮らしをしていて、どんなふうに分け隔てられ、固く閉ざされた世界の中に住んでいるのかがよくわかる。彼らは敢えてそのことに触れようとしない。それにはわけがある。彼らは疚しさもまた感じているからだが、あらゆることに関して自分たちがいい思いを味わっていることもちゃんとわかっている。まさにそのとおり

 そうした中流の心理の背景には、サッチャリズムによる社会の変化がある。筆者は、「イギリスを飲み込む中流化の波――小説から浮かび上がるサッチャリズム」で、クリストファー・ファウラーの『Psychoville』(95)やジョナサン・コーの『What a Carve up!』(94)を取り上げ、中流化の波とサッチャリズムの関係を掘り下げた。それを踏まえれば、この小説の魅力も明確になるだろう。

 クレイシが見つめているのもサッチャリズム以後の世界であり、それが主人公の以下のような語りに端的に表れている。

ぼくらはサッチャリズムを拒絶もすれば、軽蔑もしていたが、自分たち自身の観念的な思い込みに夢中になるあまり、それがいったいどんな主張をしているのか、まるで見えていなかった。といっても、自分たちがサッチャリズムと闘わなかったというわけではない。炭鉱夫たちのストライキがあったし、ワッピングでの闘争があった。ぼくらは気力を喪失し、混乱したままの状態にさせられた。すぐにもぼくらは自分たちが何を信じていたのかわからなくなった。左翼にとどまり続けたものもいれば、性の政治学に逃げ込んだ者もいたし、サッチャー支持者に転向した者もいた。ぼくらは労働党の足を引っ張った一般大衆だった。
 それでもぼくは強欲さが政治的信条として高く評価されることがどうしても理解できなかった。底知れぬ不平不満やしあわせが実現しないことに基づいて政治的綱領打ち立てようとする人がいるのはどうしてなのか? たぶんそれこそが彼らの訴えだったのだろう。実際の話、贅沢な暮らしが約束されることで、人は果てしない労働へと駆り立てられていたのだ
」(※訳文では「サッチャーリズム」と表記されているが、「サッチャリズム」で統一させていただいた)

 主人公が家族を捨て、出て行くことは、世界や社会を動かす原動力が政治から経済へと移行し、これまで積み重ねられてきた歴史が終わりを告げていることを象徴してもいる。


(upload:2014/01/25)
 
 
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