ジョディ・フォスター

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(初出:「English Journal」2003年4月号)
マチズモと父性愛、そして自分の居場所

 ジョディ・フォスターの兄であるバディが書いた『妹ジョディ・フォスターの秘密』のなかには、マーティン・スコセッシ監督のこんな言葉が引用されている。

子役というのは、普通の人よりももろいんだ。だって、彼らには普通の子ども時代がないんだからね。だから、多くが成長の過程で絶望の深みにはまってしまうわけだ。でも、ジョディはそういうことをすべて乗り切ってきた。彼女は、逆境に陥れば陥るほど、よりよい人間に成長して戻ってくるのさ

 ジョディ・フォスターは、3歳でCMに出演し、やがてTVドラマや映画で子役として活躍するようになった。そんな彼女にとって大きな転機となったのが、13歳のときに出演したスコセッシ監督の『タクシー・ドライバー』だ。家出してポン引きに拾われ、世の中を醒めた目で見つめる少女娼婦の存在は強烈な印象を残した。彼女はこの映画で、子役から脱皮する糸口をつかむと同時に、未来に繋がるテーマのヒントを得たように思える。

 それは、他者に支配され、蹂躙される被害者の心理だ。彼女は、『ホテル・ニューハンプシャー』では、集団レイプによる心の傷を抱え、奇妙で危うい恋愛遍歴を重ねていくヒロインを演じて異彩を放ち、そして『告発の行方』では、やはり集団レイプに遭い、逆境に立たされながらも法廷で闘うヒロインを熱演し、アカデミー主演女優賞を受賞した。

 ジョディは、『タクシー・ドライバー』と同じ76年にもう一本、『白い家の少女』に主演している。この映画も、いまから振り返ってみると、彼女が後に追求しだすもうひとつのテーマの原点になっていることがわかる。

 町から離れた一軒家には少女と父親が越してきたはずだが、父親を見かけないのを不審に思った不動産屋や警官が家を調べようとする。しかし、重大な秘密を抱えた少女は、あらゆる手段を使って彼らを拒絶する。この父親の影を背負い、他者を寄せつけず、自分の世界を守り抜こうとする少女の存在は、演技派として成長を遂げた女優のなかで発展していく。


《データ》
1976 『タクシー・ドライバー』
『白い家の少女』

1984 『ホテル・ニューハンプシャー』

1988 『告発の行方』

1991 『羊たちの沈黙』
『リトルマン・テイト』

1994 『ネル』

1995 『ホーム・フォー・ザ・ホリデイ』

1997 『コンタクト』

(注:これは厳密なフィルモグラフィーではなく、本論で言及した作品のリストです)
 


 ジョディに二度目の主演女優賞をもたらした『羊たちの沈黙』のヒロインは、父親の死や孤児の体験がトラウマとなり、FBIという世界のなかで過去を乗り越えようとする。『コンタクト』の天文学者も、死んだ父親の記憶を引きずり、宗教家とのロマンスではなく宇宙に突き進んでいく。

 『ネル』のヒロインは、社会から隔絶した環境のなかで母親に育てられ、母親の不幸な体験ゆえに男を恐れているが、彼女を守ろうとする医師に父親的なものを見出していく。こうしたドラマには、両親が離婚し、母親に育てられたジョディの心理も反映されているに違いない。

 このふたつのテーマはいろいろな意味で興味深い。男と女の関係からみれば、前者は女を深く傷つけるマチズモ(男性優位主義)の脅威を、後者は女を優しく包み込む父性愛を浮き彫りにしている。子役から本格的な女優への脱皮と結びつけるなら、そのために必要な独自の世界が、いかに外的な力に支配され、いかに守り通されるのかを象徴的に描いていると解釈することもできる。

 一方、ジョディの監督作からは、女優とは一味違う世界観が見えてくる。飛びぬけた才能と感受性に恵まれた少年の孤独をユーモアを交えて描く『リトルマン・テイト』と感謝祭で両親の家に集まった家族のドタバタ劇である『ホーム・フォー・ザ・ホリデイ』は、設定はまったく違うが、本質的には同じことを物語っている。

 誰かひとりが特別なのではなく、誰もがそれぞれに変わっているのであり、孤独は乗り越えられるということだ。それは、女優として孤独な探求をつづけてきたジョディが、日常的な世界のなかに居場所を見出す物語といってもよいだろう。

《参照/引用文献》
『妹ジョディ・フォスターの秘密』 ●

B・フォスター/L・ワーグナー 和波雅子訳(文春文庫、1998年)

(upload:2004/04/18)
 
 
《関連リンク》
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