この映画では、寂れた遊園地と動物園で、精神科クリニックが患者たちのデイケアを行っている。だが、登場人物たちの立場が明らかになるに従って、正常と異常の境界が曖昧になっていく。デイケアを提唱する医師は、安楽死の問題で責任を問われ、心を病んでいる。元高校教師は、かつての教え子から先生と呼ばれる存在であると同時に、重度のノイローゼに悩まされる患者でもある。
「あやふやな人間像なんですね。いまの映画ではそれが許されないんですよ。どっちかはっきりせい、客がわからないやないか言う。それこそジャームッシュや、もっと言えばゴダールの時代には、何なんだこの人はと思うようなよくわからない人がスクリーンの中にいっぱいいた。アメリカン・ニューシネマに出てきたのも、ヒーローかアンチヒーローかわからない曖昧な人間像だったんですよ。だからこれは狙いでそうしてます。いまの分かりやすくてつまらない日本映画に対するアカンベーみたいな(笑)」
安楽死に看護師不足、少年犯罪、ジャーナリズム、ショービジネス、新興宗教、9・11、自衛隊、金融などなど。大森監督の作品で、ここまで多岐に渡る社会問題が取り上げられたことはなかっただろう。
「なんか嫌がらせのように全部盛り込んでいるよね。だってこれだけいろんなことがあるのに日本映画ってなにもやらない。やらないといけないテーマはいくらでもあると思うんだけど。とにかく、70年代の映画の作り方をもう一度みたいなところはありましたね。ざっくりいうとATG映画ですよ。アート・シアター・ギルドの映画って、僕らが観たときはこんなだった。ゴダールとか、後に続くジャームッシュとかも含めて、なにか映画的な迷路を彷徨うことに楽しさがあったですよね。いまその迷路がうっとうしいといわれるんやけど、分からない奴はもういいって。でも、キャストもスタッフもみんな納得したうえでやってますよ。だから一人の監督がみんなを付き合わせたという感じはまったくしてないですね」
■■刺激になった学生たちの映画制作現場■■
この映画には若々しい活力を感じるが、その原動力になっているのは70年代の映画の作り方だけではない。
「大学で卒業制作とか授業中に作る映画とか、学生たちの映画を観たことがすごいありますね。大阪芸大は3年生や4年生にはけっこう自由に作らせているんですよ。それを見ていると、これいくらぐらいでできるって聞いちゃうし、俳優もそこそこの人が出てくるんです。僕らの自主映画の時代は、友だちのお父さんとか呼んできて、台詞も棒読みだったけど、いまはタレント事務所に登録している素人のおじさんやおばさんがいて、へえー、こんな俳優がいるんかって。自主映画出身でありながら、それまで全然観てなかったんですね。あらためて映画ってこうやって作っていくんだって、何か一枚一枚剥がれていくようにわかって、これだったら自分もできるって思って、すごくいい刺激になりましたね」
戦争を背景とした『まぼろしの市街戦』では、小さな村が精神病院の患者たちにとってアジール(解放区)のような空間になる。それでは大森監督は、デイケアが行われる遊園地と動物園をどのような空間ととらえていたのだろうか。 |