「明治の部分については、日露戦争が終わったあとの青森というのがあったんじゃないですかね。ちょうど玉岡かおるさんの『お家さん』という原作をいただいて、神戸の鈴木商店の話ですが、その脚本を書いていたこともあって、明治というと日露戦争の後の時期が思い浮かんでくるんですね。戦争には勝って元気はあるけれど、傷ついた人たちがたくさん戻ってきてちょっと悲しい時代という感じですかね」
『世界のどこにでもある、場所』では、境界で揺れている人々がそれぞれに居場所を探していた。『津軽百年食堂』の陽一や七海も、どこでどう生きるべきなのか、その場所を探しているように見える。
「たぶんこれはもとの脚本にあったと思うけど、二人が同じひとつの屋根の下に住んじゃう、まずあの(東京の)部屋があって、その次に(弘前の)写真館があって、最後に二人で一緒に住むところを探しているというか。最後気に入っているんですけどね、ふたりペンキ塗っているところが。そういう意味では、今の男の子と女の子が一緒にいる場所はどこなのか考えていこうというのはありました。あれは『ジョンとメリー』(69)なんですよね。朝起きると一緒にいました、二人で喧嘩ばっかりしているみたいな。『ジョンとメリー』ってあらためて観ると、こんな映画だったんだなあって」
この物語では、蕎麦や食堂や家族を通して伝統が描かれるが、大森監督はそんな題材のなかに別の伝統を表現する可能性を見出していた。
「(映画のキャッチコピーを指さして)「受け継がれていく日本人の心と味」ってあるでしょ、「心と味」、それと「青春映画」なんですよね。やっぱり70年代の日活の藤田(敏八)さんでしょ、それから松竹の山根(成之)さん、東宝でまあ大作を撮っていたけど森谷(司郎)さんとか、ああいう青春映画をじゃ誰が受け継いでいくんやと。いまの日本映画には目を覆いたくなる、たぶん彼らは知らないんだと思うんやけど、かつて70年代に僕らが胸をときめかせたものをね。それを誰もやらないのなら僕なんかがやっていかないとあの日本の青春映画っていうのはなくなってしまうんではないかっていうことですね。もう還暦まえで、青春映画なんていってられないのに(笑)」
今回のインタビューは、「両方ご覧になった? バラバラでしょう、ハハハハハ」という大森監督の言葉と大笑いから始まった。確かに2本の新作は設定も表現もまったく違うが、バラバラというわけではない。このインタビューの様々な発言を踏まえるなら、8ミリ少年からスタートした大森監督が、洋画やATGや撮影所などを通して引き継いできた多様な遺伝子が、まったく異なるかたちで表われていることがおわかりいただけるだろう。 |