コリン・ナトリー・インタビュー

2000年5月 ファックス(ストックホルム―東京)
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(初出:「キネマ旬報」2000年7月下旬号、若干の加筆)
陽の下に新しきものあらざるなり

 ヨーロッパ、なかでも北欧の監督たちは、50年代という時代に特別なこだわりを持っているという印象がある。

 先日、アキ・カウリスマキ監督にインタビューしたとき、彼はこんなことを語っていた。「時代背景については、同じ画面のなかに異なる時代を混在させ、タイムレスな設定にしようという気持ちがありますが、 最終的には50年代へと戻っていく傾向があります。実際にその時代を体験したわけではありませんが、とても好きな時代です。誰もが経済的には貧しかったが、イノセントであり、もっとお互いに助け合い、幸福な時代でした

 スウェーデン映画「太陽の誘い」の監督コリン・ナトリーはイギリスで生まれ育ったが、彼も北欧の監督といって何ら違和感のない眼差しを持っているように思う。

「わたしは10年来スウェーデンで仕事をしています。ご存知かもしれませんが、この作品でヒロインを演じているヘレーナ・ベリストレムと結婚していて、家族とストックホルムに住んでいます。 スウェーデンはわたしにとって常に愛すべき国であり、生活にも仕事にも刺激を与えてくれるところなのです」

 この映画の原作はイギリス人の作家H・E・ベイツの短編で、ナトリーはその舞台を50年代のスウェーデンに変えている。

「この原作を読んだ時、そこに描かれている孤独、友情、愛、そして裏切りといった感情に惹きつけられました。それは人間の普遍的な感情ですから、世界中のどの国にも置き換えられるでしょう。 しかしわたしは56年のスウェーデン―われわれがまだ触れることのできるよき時代― が特に相応しいと考えたのです。50年代にわたしはイギリスで少年時代を過ごしていたので、わたし個人の思い出は、 スウェーデンの人々が持つ50年代の思い出とはかけ離れていますが…」

 その50年代は、よき時代であると同時に、アメリカ文化が激しい勢いで入り込んできた時代でもあり、この物語にはそんな現実が反映されている。40歳に手が届こうというのに、孤独で女性経験もない主人公の農夫オロフ。 彼の友人といえば、アメリカ帰りを鼻にかける若者エリックだけで、文字が読めない彼は若者の言いなりになっている。そのオロフはある日、新聞に家政婦を募集する広告を出し、謎めいた女性エレンが彼の前に現れる。

「50年代は、ヨーロッパの社会が急激な変化を遂げた時代です。大戦が終わり、アメリカの映画産業が発展し、ロックン・ロールが席巻しました。その結果、現在の社会へと移行したのです。スウェーデンも例外ではありません。今世紀初頭、人口の約六分の一がアメリカに移住した事実を見れば、 両国の絆が強いことは容易に想像できます。50年代はこの傾向が特に顕著だったのです。この映画で、オロフは過去にこだわりを持ち、エリックはもっと未来との関わりを持っています」

 このふたりの関係を見ていて筆者が思い出すのは、50年代を舞台にしたフリドリック・トール・フリドリクソン監督のアイスランド映画「精霊の島」だ。この映画では、アメリカ文化に囚われて居場所を失う兄とアイスランドの土壌に深く引き込まれていく弟の関係が象徴的に描かれるが、 「太陽の誘い」もまた、アメリカ文化とスウェーデンの土壌をめぐる非常に象徴的なドラマになっている。

「原作でわたしの興味を駆り立てたのは、三人の登場人物、それがすべてであり、彼らに的を絞り込むことだけに専念しました」


◆プロフィール
コリン・ナトリー
1944年2月28日、英国ゴスポート生まれ。グラフィック・デザイナーを経て、ITV、BBC、 チャンネル4などでTVドラマやドキュメンタリー番組の演出を手がけるようになる。スウェーデンを舞台にしたTVシリーズ『Annika(アンニカ)』をきっかけにスウェーデンに渡り、そのままストックホルム近郊のリディンゲに移住。 86年に当地でTV映画『Femte generation(第五世代)』を演出。翌年『Nionde Kompaniet(九番目の会社)』で長編デビューを果たし、興行的にも成功を収める。その後、作品発表ごとに高い人気と評価を得、 後の妻ヘレーナ・ベリストレムをヒロインに迎えた90年の『Black Jack(ブラック・ジャック)』と92年の『Anglagard(天使たちの家)』でスウェーデンのアカデミー賞ゴールドバッジ賞の監督賞を続けて受賞。特に後者は欧米各地で公開されて、 その名を広く知らしめた。その後も『Sista dansen(ラスト・ダンス)』(93)、『Anglagard-andra sommaren(天使たちの家〜二度目の夏)』(94)、『Sant ar livet(こんな生活)』(96)などヒット作を維持している。また『Anglagard』 『Sista dansen』につづいて、 「太陽の誘い」でもアカデミー賞外国語作品賞スウェーデン代表として選出されており、外国人ながらすっかりスウェーデンを代表する監督として国内外で認識されている。なお新作は、久しぶりに故国に戻って、英文学「シバの女王」を映画化する予定である。
(「太陽の誘い」プレスより引用)

 

 



 この映画では、舞台の背景や登場人物たちの過去などはほとんど語られない。観客は特にエレンの過去に興味をそそられることだろうが、ナトリーは、そのことについて多くを語ろうとはしない。

「想像するにエレンはスウェーデンのとある街、恐らく中流階級の主婦として生活していたのではと考えます」

 しかし象徴的なドラマからは、人物の背景や感情の変化が見えてくる。50年代ファッションでオロフの前に現れるエレンは、最初から眩しく魅力的な存在だが、彼女が漂わせるエロティシズムは、オロフとの関係のなかで表層的なものから内面的なものへと変化していく。同時にオロフも、エリックの言葉ではなく自分を信じ、逞しくなっていく。

「映画は50年代に設定されていますが、開映の数分後には、そうした事実も意味をなさなくなる、そうあってくれることを願います。冒頭とラストに「先にありし者は、また後にあるべし。先に成りし事はまた後に成るべし。陽の下に新しきものあらざるなり。」という聖書(伝道の書)の一文を引用しました。 この物語は、人類が誕生し、そしてわたしたちがもはや存在しえなくなるまで続いていくことなのです。従って、この作品はある時代を描いていると同時に、時間を超えた普遍的な物語でもあるのです」

 50年代以降、われわれはレトロな感覚も含めて常に新しさを求め、漫然とそれを消費しつづけているが、「太陽の誘い」は恋愛映画の枠を一歩も出ることなく、現代という時代を根底から見直そうとする素晴らしい作品なのである。



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