ブライアン「僕の場合、自分の父親も大陸生まれで、香港にやってきた人間です。僕たちの世代の親は、大多数が大陸生まれではないかと思います。そういう意味で、僕たちが大陸出身の人のことを不思議な目で見るとか、そういう感情はあまりない。ただ、僕たちの次の世代、そのまた次の世代がどう感じているのかは、僕には答えることができません」
――パイナップルパン王子の物語、というかマクダルの父親の物語には、そうした大陸生まれの人々の思いも反映されているように思えるのですが…。
ブライアン「この父親については、様々な解釈ができると思います。たとえば、いくつか紹介しますと、ある人は、これはまさにイギリス人が離れた後の香港だと考える。そこに暮らす人たちが、昔の香港、輝かしい時代の暮らしを思い起こしている。ちょうどこの映画を制作していた時期に香港で景気が後退したこともあって、そういうふうに解釈する。また別の人は、これは60年代、あるいはもっと前の時代、49年に大陸に共産主義政権が誕生し、たくさんの移民が香港に入ってきた時のことだと考える。移民の多くは上海からやって来て、上海は非常に繁栄していた街だったから、そんな故郷に対する思いが描かれているのだと。さらに別の人は、年をとってもはや若くはなくなってしまった男が、失われた青春時代を懐かしく思い出しているのだと考える。では、どの解釈が正しいのかといえば、僕はどれも正しいと思う。それがまさに僕の作品の狙っているところです。つまり、常に様々な解釈ができる空間を観客に提供したいということです」
――そのために、ヒントとなる断片を作品に散りばめている。
ブライアン「そう、わざとそうしているんです。永遠にひとつの解釈では成り立たないように作ってあるということです」
――作品を作る上で、香港をめぐる現実を断片化、抽象化していくことが、最も重要な作業になるということですか?
ブライアン「それはもちろん重要な作業ですが、もうひとつ、抽象化するばかりではなく、その過程において、共通すること、普遍性のある問題を見出していく必要があります。たとえば、マクダルの父親に対する様々な解釈をよく考えてみると、現状に対する不安という共通点が見えてきます。それがわかれば、今度はどう解消すればいいのかという方向に展開していくことができます。政治的な解釈をして、現状を変えようとする、昔に帰りたいから、現実から逃避する、そこから逃れたいから、それなら移民しよう、というように方向が見えてくるということです」===>3ページに続く |