ブライアン・ツェー&アリス・マク・インタビュー
Interview with Brian Tse & Alice Mak


2006年 東京
マクダル パイナップルパン王子/McDull, prince de la bun――2004年/香港/カラー/78分/ヴィスタ/ドルビーSRD
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――えっ、そうなんですか。どうしてわざわざ行ったことがない町を舞台に選んだんですか?

ブライアン「理由は二つあると思います。まず直観として、大角咀(ダイコッチョイ)という音の響きとか、大きな角の口という文字の組み合わせが、非常に不思議というか、妙な感じがする。それは僕だけかもしれませんが…。二番目の理由は、そこがゴチャゴチャした地域だということです。環境が悪く、車がビュンビュン走り、工事の騒音が響く。そういう町の中にひどい幼稚園がある。主人公のブタを放り込むのにぴったりの場所ではないかと思いました」

――でも、ブタを現実の中に放り込むことと、その現実となる舞台が、実際には行ったこともない町というのは、ちょっと矛盾するような気もするのですが…。

ブライアン「この作品は、一種の想像の物語で、その中には抽象的な部分があると思います。僕は確かに現実の中に放り込もうと考えていましたが、だからといって、現実の社会そのものを描写しようとしているわけではありません。実は僕は、そういうところに行くことをわざわざ避けている。ではどうやって場所を知るかというと、書斎のデスクの上にいつも二冊の本が置いてあるんです。一冊は、小学生用の辞書です。時々、字がわからないときに調べるのですが、それは小学生用の辞書です。もう一冊は香港の道路ガイドで、その本から様々なことを調べられる。だから、作品の中で、治安が悪い地域を舞台にしたり、ある事件を取り上げることがあっても、現場に足を運ぶことはしません」

――香港では、60年代半ばまでは、大陸生まれの人々が人口の中で多数派を占めていて、60年代後半から70年代にかけて、香港生まれの人口が過半数を超え、多数派となるという世代交代がありました。この二つの世代には、帰属意識の違いがあったと思うのですが、個人的な経験として、そういう違いを身近に感じることはありましたか?

アリス「私自身は小さい頃からそういう環境に慣れてきたので、たとえば、周りの人があまり発音が正しくない広東語を喋っていても、全然気にしませんでした。私が通っていた学校も、生徒の多くが、インド人とか、外国人の子供たちで、広東語ができる子供もできない子供もいました。要するに香港はもともと文化的に多様性のある国というか、まあ地域なので、私自身もそういう違和感とか隔たりを感じることはありませんでした」

 


ブライアン「僕の場合、自分の父親も大陸生まれで、香港にやってきた人間です。僕たちの世代の親は、大多数が大陸生まれではないかと思います。そういう意味で、僕たちが大陸出身の人のことを不思議な目で見るとか、そういう感情はあまりない。ただ、僕たちの次の世代、そのまた次の世代がどう感じているのかは、僕には答えることができません」

――パイナップルパン王子の物語、というかマクダルの父親の物語には、そうした大陸生まれの人々の思いも反映されているように思えるのですが…。

ブライアン「この父親については、様々な解釈ができると思います。たとえば、いくつか紹介しますと、ある人は、これはまさにイギリス人が離れた後の香港だと考える。そこに暮らす人たちが、昔の香港、輝かしい時代の暮らしを思い起こしている。ちょうどこの映画を制作していた時期に香港で景気が後退したこともあって、そういうふうに解釈する。また別の人は、これは60年代、あるいはもっと前の時代、49年に大陸に共産主義政権が誕生し、たくさんの移民が香港に入ってきた時のことだと考える。移民の多くは上海からやって来て、上海は非常に繁栄していた街だったから、そんな故郷に対する思いが描かれているのだと。さらに別の人は、年をとってもはや若くはなくなってしまった男が、失われた青春時代を懐かしく思い出しているのだと考える。では、どの解釈が正しいのかといえば、僕はどれも正しいと思う。それがまさに僕の作品の狙っているところです。つまり、常に様々な解釈ができる空間を観客に提供したいということです」

――そのために、ヒントとなる断片を作品に散りばめている。

ブライアン「そう、わざとそうしているんです。永遠にひとつの解釈では成り立たないように作ってあるということです」

――作品を作る上で、香港をめぐる現実を断片化、抽象化していくことが、最も重要な作業になるということですか?

ブライアン「それはもちろん重要な作業ですが、もうひとつ、抽象化するばかりではなく、その過程において、共通すること、普遍性のある問題を見出していく必要があります。たとえば、マクダルの父親に対する様々な解釈をよく考えてみると、現状に対する不安という共通点が見えてきます。それがわかれば、今度はどう解消すればいいのかという方向に展開していくことができます。政治的な解釈をして、現状を変えようとする、昔に帰りたいから、現実から逃避する、そこから逃れたいから、それなら移民しよう、というように方向が見えてくるということです」===>3ページに続く

 
 
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