バフティヤル・フドイナザーロフ・インタビュー

2000年5月 渋谷
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――これまでの作品では、乗り物は兄弟や男女を結びつける役割を果たしているところがありました。ところが、新作の飛行機は、ナスレディンに言わせれば"悪魔"だし、ヒロインは最初のところで、飛行機に乗ろうとして乗りそこねます。そういう意味では、乗り物自体が何かを結びつけるということはありませんが、 面白いことにヒロインは、いつもどこかで"飛ぶ"という方向に向かっていて、最後は飛行機ではありませんが、実際に空に舞うことになります。この飛ぶというイメージがとても印象に残るのですが。

BK ヒロインは最初に誘惑されるわけですが、飛行というのも一種の誘惑なのです。人類はたえず鳥のように飛ぶことに誘惑されてきました。この飛行と人間の成長には深い繋がりがある。たとえば少年が大きくなってくると、橋の上に立って下を見下ろしてみたり、高いところに登りたいという欲求が起こります。 これは一種の飛行なのです。そういう行為をしているときに、少年は成長しているといえるのです。科学的にもそういう事実があるらしいです。

――ヒロインが中絶をしようとするところで、診察台に逆に乗ってしまい、それが空を飛ぶ格好になりますね。監督はよく即興を取り入れるということですが、あれも即興ですか、それとも最初からイメージを持っていたのですか。

BK 最初からそうしようと思いました。というのも、産婦人科の診察台というのは、ひどいものだと思っていたんです。どうして人間を診るのに顔を見ないのかってね。だから、まったく違うことをやりたかった。それから、ヒロインが誘惑されて、知らないうちに妊娠してしまい、ああいうものに無縁であることを表現したかった。 そこで反対に座って、小鳥のように両手を広げるというふうにしたんです。あれは意識的にいつかやってみたいと思っていました。ひっくり返すようなことを。

――当然、映画の流れのなかにある"飛ぶ"という意味も含まれているわけですよね。

BK 映画を作っているときには、それほど意識的に結びつけてなかったですね。それはもう観客ひとりひとりの意識とか受け取り方でしょうね。そういう関連を見つけ出していただいてとても嬉しいです。

――ヒロインに国とか国家を意味する名前をつけたのはどうしてですか。

BK ソビエト連邦が崩壊して、いろいろな独立国家ができましたね。ところが、それらの国々が賄賂だの汚職だのギャングだのといったことを抱え込んで、結局は弱者を苛めたりしている。 ヒロインもやはり、悪い意味での伝統に固執している人たちから唾を吐きかけられ、苛められます。だからそのふたつを重ねて、象徴のようにしたかった。それであの名前を使ったのです。


―ルナ・パパ―

◆スタッフ◆
 
監督   バフティヤル・フドイナザーロフ
Bakhtiar Khudojnazarov
原作/脚本 イラークリ・ナザーロフ
Irakli Kwirikadze
撮影 マーティン・グシュラハト、ドゥシャン・ヨクシモヴィッチ、ロスチスラフ・ビルーモフ、ラーリ・ラルチェフ
Martin Gschacht, Dusan Joksimovic, Rostislav Pirumov, Rali Ralchev
編集 キィルク・フォン・ヘフリン
Kirk Von Heflin
音楽 ダーレル・ナザーロフ
Daler Nasarov

◆キャスト◆

マムラカット   チュルパン・ハマートヴァ
Chulpan Khamatova
ナスレデイン(兄) モーリッツ・ブライブトロイ
Moritz Bleibtreu
サファール(父) アト・ムハメドシャノフ
Ato Mukhamedzhanov
アリク メラーブ・ミニッゼ
Merab Ninidze
操縦士 ニコライ・フォーメンコ
Nikolai Fomenko
スベー ローラ・ミルゾラヒーモヴァ
Lola Mirzorakhimova
カビブラの声 ポリーナ・ライキナ
Polina Rajkina
(配給:ユーロスペース)
 


――だからラストでヒロインが空に舞い、過去から解放されたところで、物語の語り手である赤ん坊が外に出ようとする。

BK ソ連の崩壊から生まれた国々が、その場所から一度飛翔して生まれ変わってほしい、いまのような状態ではだめだという思いもありました。

――今回は巨大なセットを作ったわけですが、それはゼロから自分が作りたいものを作れることを意味しますよね。このセットの世界を作るに当たって、あなたが念頭に置いていたものが何かをお聞きしたいのですが。

BK このセットは選抜チームのようなもので、いろんな街から持ってきました。だから、キプロス島もあればサマルカンドもあり、ビザンチンもあればスターリン時代や社会主義時代の雰囲気の建物とかもあそこに持ってきました。

――たとえば、お腹の胎児が物語を語るということは、そこに未来と過去が交錯しているわけですが、このセットの空間自体も未来と過去が交錯しているということなんでしょうか。

BK そうなんですね。なぜなら、私たちは過去と未来の狭間のみに生きていて、現在というのはあり得ないような気がする。それは瞬時に過去になってしまい、たえず過去を清算しているわけです。 だから常に過去と未来の狭間のように考えています。あの街にはそういう雰囲気が表れています。

――この映画のプレスには、ファンタスティック・リアリズムに近づいたという監督のコメントがありますが、近づいたということはもっとそっちの方向にこれから進むということを意味するのでしょうか。

BK 最終的にどこに行くのかはわかりません。リアリズムに行くのか、純粋にファンタジーに行ってしまうのか。たとえば、サッカーとかホッケーのようなスポーツこそは、ファンタスティック・リアリズムの非常に純粋なかたちを提示しているのではないでしょうか。 みんなが不思議なかっこうで走り回り、ボールを蹴って、すごいお金が飛び交って、数百万の人々が好奇心を持って見入り、パパにもママにも地位にも性にも、パンにも神にも悪魔にも何にも結びつかない。映画もそんな風になってほしいんですが、そこまで行き着けるかどうか。


(upload:2000/12/29)

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