BK それぞれのストーリーは、独自のリズムを要求するものなんです。今回は非常にリズムに溢れています。なぜなら、胎児の視点から見ているからです。日本では胎児がお腹のなかにいるのは10ヶ月といいますけど、その10ヶ月間、胎児は、心理状態などとは無関係に、ただ本当にクレイジーなリズムのなかで生きている。お腹から出てしまうと、 今度はまた異なるリズムでの生活が始まります。私は、この羊水のなかのクレイジーなリズムに、心理というものが生まれる前の本質的な生命を感じるのです。この映画は、胎児が語り手なので、そのリズムを持ってきたわけです。
BK 私たちは子宮の外に出て、結局、母親から離れ、巣立っていくという現実があります。しかし、母親のしずくというか、母親の傍にいたときのその感覚というものを、それぞれの作品のなかで何とか伝えたいといつも思うんです。だから、母親というものがある需要に基づくひとつの対象になってしまわないように、あえてそれを排除する。 排除するとはどういうことかというと、人は母親の不在によって抑圧され、自分に欠けているものを探そうとする、そういう緊張感のようなものを生みだすということです。これは私の話法というか、ドラマツルギーなんです。そんなふうにして、あなたが的確におっしゃったように、母親の存在、目に見えない存在というものを伝えたいと思ってきたわけです。
――あなたの個人的な体験がそうした表現に影響を及ぼしているということはありますか。
BK 私の母親と私の関係はごく普通で、個人的な体験を持ち込むというよりは、むしろ哲学的なものだと思います。唯一、個人的な要素があるとすれば、いつか母親を失う、それは大きな事件であり、私たちは心の準備をしていかなければならない、そうした一種の不安ですね。そういう要素は作品に持ち込んでいます。でもこれは、 私と母親の個人的な関係を持ち込んでいるということではありません。
BK 新作で非常に重要な乗り物は飛行機ですが、実は私は飛行機に乗るのがとても怖いんです。でも同時にとても好きなんです。あんな大きな物が空を飛ぶという事実にすごく惹かれるわけです。それでも怖いので、空中の撮影については私は直接参加せず、地上からモニターで見てました。 私は、私が傍にいる必要があるならすべて地上で撮ろうと言いました。だから飛んでいるように見えて、実際には飛ばずに撮影した場面もあります。飛行機の周りに雲を作って、大勢のスタッフが両翼に乗って機体を揺らしたんです。