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  『We Come As Friends』(14)は、『ダーウィンの悪夢』(04)で大きな注目を集めたフーベルト・ザウパー監督の10年ぶりの新作です。前作では、ヴィクトリア湖で大繁殖したナイルバーチによって変貌を遂げる地域社会を背景に、グローバリゼーションという不可視で巨大なシステムが浮き彫りにされました。新作の舞台は南スーダンです。 
 ザウパー監督は2006年に筆者がインタビューしたときに以下のように語っていました。 
「私にとってはアフリカというのは、他の人々の人生や人間の内面、人類の将来であるとか、あるいはアウシュヴィッツであるとか、それを通していろいろなものを見ることができる透明な窓のようなものなのです。だから私が作っているのは、単にアフリカについての映画ではない。私の仕事は、アフリカを通して、もっと広いものを見せることなのです」 
 その姿勢は新作でも変わっていないようです。また、インタビューの最後に次の作品のことを尋ねたときには、情報が流れて警戒され、活動が制限されてしまうという事情で多くを語りませんでしたが、アフリカにおける中国人の活動に関心を持っているようでした。新作には石油産業に従事する中国人労働者たちも登場するようです。 
 そして、アメリカ人の伝道師も出てくるということで、前作の視点が引き継がれているようにも思えます。彼はインタビューでこのようにも語っていました。 
「アフリカからポスト・コロニアル的な動きが広がることを希望したいところですが、現実的には植民地主義が終わったとは思えません。むしろ産業という形を通してもっと強くなっていると思うし、キリスト教やイスラム教の広がりというのも、ひとつの植民地主義の表れであり、恐ろしいことだと思います。映画に出てくるあの伝道師を叫ばせているのは、信仰ではなく、ビジネス的な発想なのです。大きな声で叫べば叫ぶほど、信者が増えて、お金が集まり、教会が潤い、車が買えたりする。本人が、教会や映写機はビジネスの道具だと言っているのです。あの町では、キリスト教の人間がマイクを使って叫んでいると、その二軒先ではイスラム教の人間が叫んでいて、それに反応した犬もウォーと唸り出す。みんなでコンサートをしているような感じなんですが、それもまた誰が一番大きな声で叫べるのか、誰が生き残れるのかというダーウィン主義の象徴のようでした」  | 
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| ◆スタッフ◆ | 
 
 
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| 監督/脚本/製作/撮影/編集 | 
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フーベルト・ザウパー 
  Hubert Sauper | 
 
  | 助監督 | 
  Xavier Liebard | 
 
  | 製作 | 
  Gabriele Kranzelbinder | 
 
 
| 撮影 | 
Barney Broomfield | 
 
  | 編集 | 
  Cathie Dambel, Denise Vindevogel | 
 
  | 音楽 | 
  Slim Twig | 
 
 
| スポンサー | 
ARTE, Canal plus, Eurimages, OFI, Film Fund Vienna,  ORF | 
 
 
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| ◆キャスト◆ | 
 
 
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  | (配給:) | 
 
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