ダーウィンの悪夢
Darwin’s Nightmare


2004年/オーストリア=ベルギー=フランス=カナダ=フィンランド=スウェーデン/カラー/107分/ヴィスタ/ドルビーデジタル
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(初出:「Cut」2006年9月号、映画の境界線64)

 

 

誰も逃れられない巨大なシステム

 

 フーベルト・ザウパー監督のドキュメンタリー『ダーウィンの悪夢』に映し出される世界は、情報としてはこれまでまったく知られていなかったわけではない。筆者が思い出すのは、ティス・ゴールドシュミットの『ダーウィンの箱庭 ヴィクトリア湖』だ。本書には、タンザニアのヴィクトリア湖岸で80年代初頭から5年に渡って湖の生態系の調査・研究を行った著者の体験が綴られている。

 彼が研究していたのは、300種以上に分化し、いまも進化を続けているといわれる在来種シクリッドだった。ところが調査を進めるうちに、かつて放流された大型で肉食の外来魚ナイルパーチが大繁殖し、シクリッドを駆逐していくのを目の当たりにする。そして、地域は急激な変貌を遂げる。本書には、著者の同僚のこんな発言が盛り込まれている。

 「ここいらにある静かな小さい村々はきみが想像しているよりずっと早く変わっているんだよ。大勢の人たちがナイルパーチに群がっているのさ。(中略)きみは濁った沼地で、生態的地位の分化がどうして起こるか、手掛かりをあちこち探している。それは目のまえでも起こっているさ」「死にものぐるいの競争があるんだ。町出身の抜け目のないやつらが大きな利益をあげている。かれらは最高の魚を買い、それらを輸出する。残されたものは、もっぱらそれだけに専念している土地の男たち、つまり商人のところへまわる。女たちは悲惨なもんだ。追いやられているのさ」

 『ダーウィンの悪夢』では、そんな変貌を遂げた地域が、単なる現状報告ではなく、恐るべき生態系としてとらえられている。貧しい農民たちが仕事を求めて内陸から湖岸に出てきても、元手がなければ漁には出られず、貧困が広がる。女たちは生活のために売春婦になり、エイズが広がる。

 ナイルパーチの切り身は、ヨーロッパや日本に送られ、貧しい人々は残されたあらを食べる。そのあらを処理する現場の環境は、目を覆いたくなるほど劣悪だ。ナイルパーチと共存する産業は栄え、ストリートチルドレンは、そこから生み出される梱包材で粗悪なドラッグを作り、苛酷な現実から逃避する。


◆スタッフ◆

監督/脚本/撮影   フーベルト・ザウパー
Hubert Sauper
編集 Denise Vindevogel

◆キャスト◆

    Elizabeth 'Eliza' Maganga Nsese
  Raphael Tukiko Wagara
  Dimond Remtulia
  Marcus Nyoni
  Sergey Samarets
  Jonathan Nathanael
  Msafiri 'Safiri' Habat
  Dima Rogonov
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(配給:ビターズ・エンド)
 


 ナイルパーチの加工工場に入ったカメラは、壁のカレンダーの「あなたも巨大なシステムの一部」という標語をとらえる。それは、この映画のテーマを示唆している。ザウパー監督が掘り下げるのは、グローバリゼーションという不可視で巨大なシステムであり、それを象徴するのが輸送機だ。この映画は、輸送機が湖の上空に現れるところから始まり、飛び立っていくところで終わる。その輸送機は、一回に55トンもの魚をヨーロッパに運ぶ。そして、ヨーロッパから武器を運んでくるという疑惑が持ち上がる。

 ザウパー監督は、その乗組員たちの生活にも入り込み、何度となく積荷のことを尋ねるが、彼が求めているのは真相だけではない。それぞれに自分は航空士や通信士でしかないからと言葉を濁す乗組員たちの姿からは、システムが健全だとは決して思っていないにもかかわらず、生き残っていくためにその一部にならざるをえない状況が浮かび上がってくる。そんな状況はもちろん、われわれにとっても他人事ではない。さらに、システム末端に追いやられた人々を勧誘する説教師にも注目すべきだろう。彼は、キリストの名においてあらゆる悪を退けるとがなりたて、不可視なシステムを不毛な善悪の二元論にすり替えているのだ。


《参照/引用文献》
『ダーウィンの箱庭 ヴィクトリア湖』ティス・ゴールドシュミット●
丸武志訳(草思社、1999年)

(upload:2007/12/04)
 
 
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