フーベルト・ザウパー監督のドキュメンタリー『ダーウィンの悪夢』に映し出される世界は、情報としてはこれまでまったく知られていなかったわけではない。筆者が思い出すのは、ティス・ゴールドシュミットの『ダーウィンの箱庭 ヴィクトリア湖』だ。本書には、タンザニアのヴィクトリア湖岸で80年代初頭から5年に渡って湖の生態系の調査・研究を行った著者の体験が綴られている。
彼が研究していたのは、300種以上に分化し、いまも進化を続けているといわれる在来種シクリッドだった。ところが調査を進めるうちに、かつて放流された大型で肉食の外来魚ナイルパーチが大繁殖し、シクリッドを駆逐していくのを目の当たりにする。そして、地域は急激な変貌を遂げる。本書には、著者の同僚のこんな発言が盛り込まれている。
「ここいらにある静かな小さい村々はきみが想像しているよりずっと早く変わっているんだよ。大勢の人たちがナイルパーチに群がっているのさ。(中略)きみは濁った沼地で、生態的地位の分化がどうして起こるか、手掛かりをあちこち探している。それは目のまえでも起こっているさ」「死にものぐるいの競争があるんだ。町出身の抜け目のないやつらが大きな利益をあげている。かれらは最高の魚を買い、それらを輸出する。残されたものは、もっぱらそれだけに専念している土地の男たち、つまり商人のところへまわる。女たちは悲惨なもんだ。追いやられているのさ」
『ダーウィンの悪夢』では、そんな変貌を遂げた地域が、単なる現状報告ではなく、恐るべき生態系としてとらえられている。貧しい農民たちが仕事を求めて内陸から湖岸に出てきても、元手がなければ漁には出られず、貧困が広がる。女たちは生活のために売春婦になり、エイズが広がる。
ナイルパーチの切り身は、ヨーロッパや日本に送られ、貧しい人々は残されたあらを食べる。そのあらを処理する現場の環境は、目を覆いたくなるほど劣悪だ。ナイルパーチと共存する産業は栄え、ストリートチルドレンは、そこから生み出される梱包材で粗悪なドラッグを作り、苛酷な現実から逃避する。 |