“ストレイト・ストーリー”というタイトルが物語るように、驚くほどまっとうなスタイルで撮られたこの映画は、これまでのリンチとはまったく違う作品のように見える。しかし、その映像からはリンチならではの視点と表現が浮かび上がってくる。
まず確認しておきたいのは、デヴィッド・リンチとロード・ムービーの関係だ。筆者は彼の感性やイマジネーションは、ロード・ムービーというジャンルとは相性があまりよくないと思っている。彼はごく身近にある、普通なら見過ごしてしまいそうな対象から自分の世界を掘り下げていく作家だが、ロード・ムービーは、それ以前に映像の空間がむやみに広がってしまう。
だからこそバリー・ギフォードのロード・ノヴェルをもとにした『ワイルド・アット・ハート』では、『オズの魔法使』を随所に引用することによって、広がる空間を自分の世界へと引き込んだのだろう。
そんな仕掛けを使わないこの新作では風景が見事に広がっていく。だが、リンチが関心を持っているのは、あくまで病に倒れた兄という遥かかなたのただ一点だけを目指し、真っ直ぐに進む老人であり、彼が描いているのは、そのために自分にできることを黙々と実践する老人の姿である。
しかし、ドキュメンタリーのように老人にカメラを向けているわけではない。ここで思い出さなければならないのは、リンチが“壊れた機械”やそれが生み出すものに特異な愛着を持っていることだ。たとえば、彼は『イレイザーヘッド』に先立つ短編を作っているときに、その音楽について以下のように語っている。
「娘のジェニファーが生まれたころで、彼女の泣き声をウーハー(Uher)のテープレコーダーで録音したんだけど、これがまた壊れてたんだ。僕は壊れているのを知らないでいたんだが、泣き声も何もかも、それで録音したものは素晴らしかった。主に機械が壊れているせいで、ケーキをかじったときアイシングが立てるような音がして、その音が大好きだったんだ」
さらに、彼の作品で印象に残る電気についてはこのように語っている。
「家の中に入ってくるもの……家の外で作られたり、生まれたりしたものは、必ず時間について、人生について語るんだ。そして、そういうもののどこかが故障したり、調子が悪くなったりしたら、ほかのことも意味し得るようになる」 |