ニューヨーク郊外のウエストチェスター。この高級住宅地のストリップモールで、開店前の小さな宝石店に、目出し帽をかぶった男が押し入る。彼は店員の女性を銃で脅かしながら、宝石を袋に詰めていく。ところが、隙を見て銃を取り出した店員が男に発砲し、男も撃ち返す。店の外に停めた車で待っていた共犯者は、仲間が撃たれたのを見て、慌てて逃走する。結局、男は死亡し、店員は意識不明の重態で病院に運ばれる。
シドニー・ルメット監督の『その土曜日、7時58分』は、単純な強盗の場面から始まり、それが前後する時間のなかで波紋を広げていく。強盗を思いついたのは、美しい妻ジーナとマンハッタンのアパートメントで優雅な暮らしを送るように見える会計士アンディ。計画では、開店の準備をしていたナネットも、目出し帽の男ボビーも、そこにはいないはずの人間だった。
アンディはその宝石店のことを昔からよく知っていた。自分の両親が経営する店だからだ。彼が強盗の計画を持ちかけたのは、離婚して娘の養育費にも困っている弟のハンクだ。ハンクが単独で押し入り、非力な店番をモデルガンで脅し、宝石を奪い、アンディがそれを故買屋で金に換える。商品には保険がかけられているので、誰も腹が痛まない。ところが、気弱で自信のないハンクは、兄の知らないところで度胸のありそうな知人に声をかけてしまう。しかも、店にいたのは非力な店番ではなく、彼らの母親だった。
誤算をきっかけに、主人公たちの内面、親子や夫婦の確執が次々と露になる展開は、緻密でスリリングであり、優れた人間ドラマになっている。だが、ルメットはそんな次元では満足せず、映画ではなかなかとらえがたい現実に迫っている。この映画と比較して意味のある作品があるとすれば、それはジョナサン・フランゼンの大著『コレクションズ』だろう。この小説は、視点が近いばかりではなく、人物の設定にも多くの共通点がある。
たとえば、ゲイリーとチップという兄弟の立場だ。地方銀行の部長である兄のゲイリーは、経済的には恵まれているが、妻子との間に深い溝がある。自分に自信が持てない弟のチップは、女性関係でしくじり、破産寸前の状態に追い込まれている。叩き上げの技師だった彼らの父親アルフレッドは、病を患い、自分の世界に閉じこもり、母親のイーニッドは、夫や子供たちに対する不満の捌け口を求めている。
この小説では、そんな家族の内面が描き出されるだけではなく、変化する社会と家族の関係が鋭く掘り下げられていく。ゲイリーが特権意識や社会的地位に異様にこだわるのも、チップが憐れな敗残者の烙印を異様に意識するのも、両親と無縁ではない。彼らは中西部の郊外の町セント・ジュードで育ち、独立したあとは、両親と違う世界をひたすら求め続けてきた。だが結局、社会や価値観の変化についていくことができず、地位にも家庭にもセックスにも満足できず、次第に利己的に、あるいは内向きになっていく。ゲイリーは、大した意味もないのに、セント・ジュードからどれだけ遠く離れた場所にいるのかを確認せずにはいられない。チップは、両親のせいで自分がこんな人間になったと考え、心のなかで彼らのことを殺人者と呼ぶ。
これは決して家族だけの問題ではない。彼らは、見えない力に翻弄され、孤立し、その苛立ちの矛先を家族に向けていく。フランゼンは、多様な表現と膨大な言葉でそんな現実を浮き彫りにした。一方、ルメットは、犯罪を絡めた人間ドラマによってそれをとらえる。
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