白いカラス
The Human Stain  The Human Stain
(2003) on IMDb


2003年/アメリカ/カラー/108分/シネマスコープ/ドルビーデジタル
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(初出:「Pause」2004年)

 

 

フィリップ・ロスの原作『ヒューマン・ステイン』と
ロバート・ベントン監督の『白いカラス』をめぐって

 

 現代アメリカ文学を代表する作家フィリップ・ロスの長編『ヒューマン・ステイン』では、主人公コールマンが講義中に口にした「幽霊(spook)」の一言から波紋が広がり、歴史を遡りつつ、人種や文化、教養、セックスなどをめぐる人間の苦悩が重層的に描きだされていく。

 物語は、クリントン大統領の“不適切な関係”が全米の注目を集める98年の夏に始まる。その状況は、このように表現される。「国会、新聞、そしてネットワーク上など、スタンドプレー好きの独善的な連中――人を非難したり、嘆いたり、罰を与えたりしたくてたまらない輩――が至るところに現われ、声を張り上げて説教を始めた。(中略)彼らはみな、浄化という厳格な儀式を遂行したくてたまらなかった

 “浄化”は、この小説のキーワードになっている。コールマンもまたその標的となる。講義中に口にした一言だけが、政治的に正しいかどうかという短絡的な基準で判断され、人種差別主義者のレッテルを貼られる。そしてフォーニアと恋に落ちると、今度は、老人が欲に溺れ、無学で不幸な女を弄んでいると中傷される。ひとりの人間の存在や物語は完全に無視されることになる。

 だが、実はコールマンを浄化しようとする人間にも苦悩がある。彼を糾弾して大学から追いだした学科長のデルフィーヌは、家柄から逃れるためにフランスを飛び出したが、彼女を評価しないアメリカに失望し、彼を憎みながら同時に惹かれてもいる。彼につきまとうフォーニアの夫レスターは、ベトナムの英雄を恐れるコミュニティのなかで孤立し、再度戦場に向かい、狂気と憎悪に囚われてしまった。

 しかし彼らは、コールマンが黒人であることの苦悩を背負ってきたことを知らない。そして、この小説の最後の章が、「浄めの儀式」と題されているように、コールマンのなかでは、まったく次元の違う浄化が進行しているのである。


 
◆スタッフ◆

監督   ロバート・ベントン
Robert Benton
脚本 ニコラス・メイヤー
Nicholas Meyer
原作 フィリップ・ロス
Philip Roth
撮影 ジャン・イヴ・エスコフィエ
Jean-Yves Escoffier
編集 クリストファー・テレフセン
Christopher Tellefsen
音楽 レイチェル・ポートマン
Rachel Portman

◆キャスト◆

フォーニア   ニコール・キッドマン
Nicole Kidman
コールマン アンソニー・ホプキンス
Anthony Hopkins
レスター エド・ハリス
Ed Harris
ネイサン ゲイリー・シニーズ
Gary Sinise
青年時代のコールマン ウェントワース・ミラー
Wentworth Miller
スティーナ ジャシンダ・バレット
Jacinda Barrett
ミセス・シルク アンナ・ディーヴァー・スミス
Anna Deavere Smith
(配給:ギャガ・ヒューマックス)
 

 この『ヒューマン・ステイン』をロバート・ベントン監督が映画化した『白いカラス』は、中心的な人物をコールマンとフォーニア、そして彼の友人となる作家のネイサンに絞り込み、この浄化を鮮やかに描きだしていく。

 大学のキャンパスでは、大統領のスキャンダルをめぐって無責任な意見が飛び交っている。コールマンが初めてネイサンの家に現われるときには、テレビから大統領の釈明演説が流れ、彼が路上で立ち往生するフォーニアに遭遇するときには、カーラジオから大統領の証言の真偽を検証する番組が流れている。つまり彼らは、スキャンダルを背景に結びついていく。

 そして、コールマンのなかに起こる浄化は、踊るフォーニアを見つめる現在の彼と、踊るスティーナを見つめる過去の彼との対照によって浮き彫りにされる。過去の場面に流れる曲は<デイ・ドリーム>で、その体験はまさに“白日夢”だった。一方、現代に流れる<クライ・ミー・ア・リヴァー>は、喪失の深い哀しみを際立たせる。

 しかし彼はその哀しみに流されない。家族と血を否定し、幽霊となった彼は、家族から拒絶され、人間の血すら否定するフォーニアの前にすべてをさらけ出すことで、もう一度、人間になろうとする。

 一方、「男の過ちは常にセックス絡み」という表層的な現実に囚われたネイサンは、コールマンが暗示する“何か”を見抜けない。そんな彼は、真相を知ったとき、自分の想像力が試されていたことに気づき、コールマンの物語の語り手となるが、観客もまた同じように現実世界における想像力を問われているのだ。

《参照/引用文献》
『ヒューマン・ステイン』フィリップ・ロス●
上岡伸雄訳(集英社、2004年)

(upload:2012/06/10)
 
 
《関連リンク》
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――『ノーバディーズ・フール』『トワイライト』『白いカラス』をめぐって
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