映画『ジャケット』を監督したのは、イギリス出身の映像作家ジョン・メイブリーだ。彼のこれまでの作品を知る人には、この題材の選択は意外に思えるかもしれない。メイブリーは、イギリス映画界で異彩を放った故デレク・ジャーマンにその才能を見出され、彼との様々な共同作業を経て、頭角を現してきた。そのジャーマンとメイブリーはともにゲイであり、彼らの作品では、セクシュアリティが重要な要素となっているが、この新作では、それが前面に出てくることはない。
しかし、彼らのセクシュアリティやアイデンティティの探求は、肉体や性的嗜好として映像に現れるだけではない。彼らは、登場人物の内面や記憶を掘り下げ、ドラマではなく多様なイメージが交錯する映像言語を紡ぎ出し、直線的な時間の流れに束縛されない独自の世界を切り開いてきた。ジャーマンの代表作で、メイブリーが編集を手がけた『ラスト・オブ・イングランド』(87)やメイブリーの代表作『愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像』(98)は、その好例といえるだろう。
『ラスト・オブ・イングランド』では、画家でもあるジャーマンがアトリエで創作する姿に、廃墟を彷徨う若者たち、古いホーム・ムーヴィーに刻み込まれた家族、不気味なテロリスト集団などの映像が重ね合わされ、社会に対する怒りや絶望、ノスタルジー、欲望や衝動など、複雑な感情が浮き彫りにされていく。映画は、「閉鎖された記憶が暗闇を徘徊する」というモノローグから始まる。
イギリスを代表する画家ベイコンと彼の恋人でモデルでもあったジョージ・ダイアーの関係を題材にした『愛の悪魔』は、ベイコンがダイアーを失った時点から物語が始まり、記憶が再構築されていく。その冒頭には、こんなモノローグがある。「逆回しの爆発のように、思考やイメージ、思い出の断片が、爆弾の破片のごとく頭に飛び込んでくる。過去はパスティシュ(混成画)としてよみがえる」。
さらに、二人の作家は、セクシュアリティに閉じこもることなく、より広い意味でアイデンティティというものに対する鋭敏な感性を持ち合わせている。『ラスト・オブ・イングランド』では、80年代の強引な改革によって切り捨てられた若者たちが、ゲイの立場と重ねられ、深い共感をもってとらえられている。『愛の悪魔』で、ベイコンの恋人となるダイアーは、ゲイとして描かれるだけではない。彼が、ベイコンの強烈な創造力に翻弄され、ベイコンを取り巻く社交的な集団から疎外され、自分を見失っていく姿が、大胆かつ繊細に表現されているのだ。
そして、メイブリーがジャーマンから引き継ぎ、発展させてきた視点や感性は、ハリウッド映画であるこの『ジャケット』に生かされている。これは、存在を否定され、自分を見失ったジャックが、アイデンティティを探求していく物語であり、時間の流れに束縛されない独自の世界が切り開かれているからだ。 |