シティ・オブ・ゴッド
CIDADE DE DEUS / CITY OF GOD  City of God
(2002) on IMDb


2002年/ブラジル/カラー/130分/ヴィスタ/ドルビーデジタル
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(初出:「キネマ旬報」2003年6月下旬号)

 

 

見捨てられたファヴェーラという世界への眼差し

 

 フェルナンド・メイレレス監督の『シティ・オブ・ゴッド』では、リオデジャネイロにあるファヴェーラ(スラム)を舞台に、ギャングとなって壮絶な抗争を繰り広げる少年たちの姿が描きだされる。この映画は、ストレートなドラマではなく、驚くほど緻密に作り込まれ、巧妙な話術によって現実を浮き彫りにしていく実にしたたかな作品である。

 60年代後半から80年代初頭に至る物語は、三部で構成されている。60年代後半を背景にした一部では、ギャングの犯罪といっても、それはプロパンガスを配達するトラックを襲うくらいのものでしかない。しかし二部で70年代に入り、コカインのマーケットが莫大な利益を生みだすようになると、欲望のために手段を選ばないギャングが帝国を築きあげ、三部の70年代末になると、ギャング同士の抗争が勃発し、街は戦場と化していく。

 メイレレス監督は、映像の色調や感触、編集のリズムなどを変えたり、画面分割や手持ちカメラを駆使することによって、この三部を見事に描き分けている。牧歌的な雰囲気は、熱狂と陶酔、そして緊張と混沌へと変化していく。

 しかし、この映画の最大の魅力は、ドラマの時間軸を自在に操る構成である。三部からなるドラマは直線的に繋がっているのではなく、複雑に交錯している。ドラマには非常に多くの人物が登場するが、この前後する時間は、そのなかからリトル・ゼとブスカペというふたりの人物に特別な光をあて、象徴的な存在に変え、もうひとつの物語を紡ぎだしていく。

 彼らの物語は、二部から一部、三部から二部というように常に過去を反芻することによってその意味が膨らみ、そこからは最終的にファヴェーラに対する作り手のメッセージが浮かび上がってくるのだ。

 ふたりは、一部では決して目立つ存在ではない。一部の主人公は"優しき三人組"だ。彼らは銃で武装してはいるものの、チンピラに毛の生えた程度の強盗に過ぎない。ある日、彼らはモーテルを襲撃するが、その事件は彼らが知らないところで歴史的な惨劇に発展している。泥沼にはまった彼らは見る影もなくなり、リーダーは警官に射殺され、表舞台から消え去っていく。

 時代は70年代に変わり、二部では、その三人組の弟分だったリトル・ゼが頭角を現し、逆らう者を片っ端から血祭りにあげ、コカインのビジネスとファヴェーラを牛耳る。と同時に過去の事件の真相が明らかになる。三人組にモーテル襲撃の計画を持ちかけ、見張りをつとめたのはリトル・ゼだったが、実は彼こそがその襲撃で狂気への一線を越えていたのだ。その事実は二部のドラマに影を落とし、三部の展開の伏線ともなる。


◆スタッフ◆

監督
フェルナンド・メイレレス
Fernando Meirelles
共同監督 カチア・ルンヂ
Katia Lund
原作 パウロ・リンス
Paulo Lins
脚本 ブラウリオ・マントヴァーニ
Braulio Mantovani
撮影 セザール・シャローン
Cesar Charlone
編集 ダニエル・レゼンデ
Daniel Rezende
音楽 アントニオ・ピント / エヂ・コルチス
Antonio Pinto / Ed Cortes
製作総指揮 ヴァルテル・サレス、ドナルド・K・ランヴァウド
Walter Salles, Donald K. Ranvaud

◆キャスト◆

ブスカペ   アレシャンドレ・ロドリゲス
Alexandre Rodrigues
リトル・ゼ レアンドロ・フィルミノ・ダ・オラ
Leandro Firmino da Hora
ベネ フィリピ・ハーゲンセン
Phellipe Haagensen
カベレイラ ジョナタン・ハーゲンセン
Jonathan Haagensen
マネ セウ・ジョルジ
Seu Jorge
 
(配給:アスミック・エース)
 


 リトル・ゼは、二部で幼なじみの相棒であるベネが引退を表明するあたりから、象徴的な存在へと変貌していく。リトル・ゼをコカインのビジネスに導いたのは、彼の知恵袋ともいえるベネだ。ベネがいなければ、彼はいかに凶暴ではあっても、強盗として怖れられるだけの存在にすぎなかった。

 そのベネは、ギャングから足を洗っても、他の場所で他の生き方ができる。しかし、リトル・ゼにはできない。彼は、ファヴェーラを牛耳ると同時に、ファヴェーラに囚われ、どこにも行き場がない。そんな彼は、モーテルと同じように、ファヴェーラを修羅場に変えていく。

 一方、この物語の語り手にしてファヴェーラの案内人ともいえるブスカペは、ギャングではなく、カメラマンを目指す若者である。彼にとってリトル・ゼは、優しき三人組の一員だった彼の兄を殺した仇であり、ふたりは決して親しいとはいえない。だが、振り返ってみると彼の運命は、リトル・ゼと深く結びついている。

 彼がカメラマンに憧れるきっかけとなったのは、三人組のリーダーがモーテル襲撃の犯人として射殺され、記者が死体をカメラに収める姿を目にしたことだ。もしこの襲撃が歴史的な惨劇に発展することがなければ、記者がファヴェーラなどに足を運ぶこともなかっただろう。ブスカペは、カメラのフラッシュに外の世界を感じとり、カメラマンになることは、ファヴェーラから出て行くことを意味するようになる。

 しかし三部で、カメラマンになることの意味は大きく変わる。一部の時代とは違い、外部の記者が戦場と化したファヴェーラにおいそれと入り込むことはできない。ブスカペにはそれができる。リトル・ゼは、狂気を誇示するかのように喜んでポーズをとる。ブスカペにとって、カメラマンになることは、簡単には逃げだすことができない自分の世界を見極めることを意味するようになる。リトル・ゼとは対極の道を歩みながら、彼もまたファヴェーラに囚われた象徴的な存在なのだ。

 そして、カメラマンのブスカペが、血で血を洗う戦場のなかでリトル・ゼの運命を見届けるとき、人種や階層、貧富の差の深い溝によって、外部の世界から完全に見捨てられたファヴェーラの現実が浮き彫りになるのだ。


(upload:2004/02/07)
 
 
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