ソフィア・コッポラの新作『SOMEWHERE』(10)の物語は至ってシンプルだ。ハリウッドのスター、ジョニー・マルコは、セレブにつき物の刹那的な生活を送りながらも、心は満たされていない。ある日そんな彼のもとに、前妻と暮らす11歳の娘クレアがやって来る。そして娘と過ごす時間のなかで彼は自分を見つめなおし、新たな一歩を踏み出そうとする。
この映画は、ジョニーが暮らすホテルに関する予備知識がないと面白さが伝わらないかもしれない。そのホテルとは、LAのセレブが自宅がわりに利用しているという“シャトー・マーモント”。
筆者は、A・M・ホームズの『ロサンゼルスの魔力〜伝説のホテルから始まるミステリアス・ツアー』を読むことをお勧めする。本書には、真偽が定かでないものも含め様々な伝説が取り上げられている。
レッド・ツェッペリンはバイクでロビーを走り抜けた。ジム・モリソンは4階の窓から飛び降りたが骨折もしなかった。ジェームズ・ディーンはここで初めて『理由なき反抗』の脚本を読んだ。
ビリー・ワイルダーは「ほかのホテルに泊まるくらいなら、シャトーのトイレで寝るほうがましだよ」と言った。ジョン・ベルーシの遺体はここから搬送された。
もちろんこの映画は、数々の伝説で興味を引こうとしているわけではない。筆者が注目したいのは、ホームズのエッセイの「ここは理性を捨てて自分自身に戻る場所だ」とか、「ホテルには別の人物になれるような、またはもう一回人生のやり直しができるような気にさせるところがある」という記述なのだ。
この映画を観ていると、そんな記述が両義的に解釈できるように思えてくる。無名の人間がセレブの幻想に浸れるだけではなく、スターが瞬時に平凡な父親に戻ることもできる。
娘のクレアが父親のために自分で料理をしたり、ふたりがゲームに興じる光景は、まるで自宅でくつろいでいるように見える。この映画には、ジョニーが授賞式に出席するために娘とイタリアを訪れ、豪華なスウィートに泊まる場面があるが、やはりそこでは空気が違う。
巨匠の父親フランシス・フォード・コッポラと“シャトー・マーモント”で過ごした思い出があるソフィアは、このホテルのユニークさを巧みに引き出し、魅力的なドラマを作り上げているのだ。 |