主人公の高校生ジーザスは、アメリカ中の注目を集める天才バスケ選手で、一週間以内にNBAか大学進学かという重大な決断を下さなければならない状況にある。そんな時、不幸な事故で彼の母親を死に追いやり、服役している父親が彼の前に現れる。父親は、知事が希望する大学に息子を進学させるかわりに刑期を軽くするという裏取引きを受け入れ、一週間の猶予を与えられたのだ。
この作品を作るにあたって、スパイクの頭のどこかには、間違いなく「フープ・ドリームス」のことがあったはずだ。これは、NBAを夢見るふたりの高校生を4年間に渡って追った出色のドキュメンタリーで、スパイク自身も登場している。彼は、優秀な高校生選抜選手たちを前に「君たちがここにいるのはゲームに勝てるからさ。ゲームに勝てば高校に金が入る。全ては金なんだ」と語る。「ラストゲーム」では、ジーザスの恋人や彼を養う叔父など、周囲の人間がその金をめぐって目の色を変える。さらに、そこに父親が現れ、父子の絆が試されることになる。
バスケに出口を求める少年たちの家庭はどこも貧しく、そこでは父親が失業など何らかのかたちで必ず挫折を背負い、息子に影をおとしている。「フープ・ドリームス」ではその部分がしっかりと克明に浮き彫りにされていた。しかし、「ラストゲーム」では残念ながらこの父子の関係が、いかにも作られた物語に人物を押し込んだように芝居がかっている。物語の流れではなく、その場の状況のなかで人間を生き生きと描きだすスパイクらしいスタイルは見られない。音楽も意外なことに、一般的なハリウッド映画を思わせるオーケストラ・サウンドが目立つ。
より幅広い観客にアピールするために、物語の流れを意識したと考えられないこともないが、それにしてはと思う部分がある。筆者はこの映画を観ていて、ふと「ジャングル・フィーバー」のことを思い出した。あの映画も主人公たちのドラマが同じように型にはまっていたが、サブ・プロットともいえるイタリア系と黒人の男女の絆が非常に生き生きと描かれていた。実はこの「ラストゲーム」でも、父親と彼が出会う娼婦が、お互いに大きな力に縛られながらも惹かれあうサブ・プロットが印象に残る。スパイクは、「ゲット・オン・ザ・バス」でだいぶ吹っ切れたように見えたのだが、
どうもまだスタイルや方向性に迷いがあるようだ。
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