「あの本のことは、映画の台本が書き終わって撮影を始めようかというタイミングで知りました。読まなかったことで、自由に人物を描くことができ、逆によかったです。私にとって、小野田さんとは、あくまでも物語を動かす架空の人物であったため、小野田さん自身の主観に囚われたくはありませんでした」
本作に描かれる小野田と実話を比較してみてもあまり意味はないだろう。むしろ、本作と比較する必要があるのは、アラリのデビュー作『汚れたダイヤモンド』 だ。もちろんその設定はまったく違うが、2作品には見逃せない共通点がある。
VIDEO
『汚れたダイヤモンド』は、体裁はフィルム・ノワールだが、その枠に収まらない独自の視点が埋め込まれている。特に興味深いのが、主人公ピエールと父親や父親的な存在との関係だ。ピエールの父親は、ダイヤモンド商の家に生まれたが、若い頃に原石をカットしていて誤って指を失い、不遇の人生を送ることになった。ピエールが窃盗団の一員になっているのも、そんな父親の存在と無関係ではないだろう。彼は、父親を追いつめ、ダイヤモンド商を引き継いでいる伯父を恨んでいる。
そんなピエールは、惨めな最期を迎えた父親の葬儀をきっかけに、伯父の息子と親しくなり、一族に迎え入れられ、復讐する機会をうかがう。だが、ダイヤモンド取引の世界に分け入った彼は、次第にダイヤの輝きに魅了されていく。彼は、伯父が信頼する熟練のカット職人リックに弟子入りし、才能を開花させていく。すると、伯父も彼に信頼を寄せるようになる。さらに、一族の命運の鍵を握るインド人のダイヤモンド商からも信頼を得る。
ピエールにとって、これまで父親に近い役割を果たしてきたのは、窃盗団のリーダー、ラシッドだった。だから、伯父が仕入れた高価なダイヤを奪う計画をラシッドに持ちかけ、復讐を果たそうとする。だが、伯父の一族やダイヤを扱うプロたちと親しくなるにしたがって、その図式が変化する。カット職人のリックやインド人のダイヤモンド商、伯父までもが父親的な存在となり、緊張に満ちた結末を迎えることになる。
そして本作でも、主人公の小野田と父親や父親的な存在との関係が意識され、巧みな構成によってその影響が強調されている。もともと小野田は航空兵になるために士官学校に行ったが、高所恐怖症のため航空兵には向かないと判断され、薬で恐怖をおさえて特攻隊になる方法もあったが、それもできなかった。そんな挫折を味わい、自暴自棄になっている小野田の前に、陸軍中野学校二俣分校の谷口教官が現れる。谷口は、小野田が死にたくないと思っていることを見ぬいていて、救いの手を差し伸べる。
だが、それがどんな救いの手であるのかはすぐにはわからない。そこを省略していきなり3ヶ月後、小野田が旅立つ前に、父親と酒を酌み交わす場面に変わる。その間に小野田の顔つきは明らかに変わっている。彼は自分の任務についてなにも語ろうとはせず、酒も拒む。父親はそんな息子に、いざというときに自決するための短刀を差し出す。
この時点で小野田に父親(的な存在)として影響を及ぼしているのは、谷口教官だが、その谷口と父親がどう違うのかがわかるのは、ルバング島のジャングルで攻撃にさらされた後、生き残った部下に任務を打ち明けるときだ。谷口は、「君たちに死ぬ権利はない、他のすべての兵士たちが死を望もうとも、君たちはそうしてはならない。常に別の解決策を見つけろ」と命じていた。それは、短刀で自決することとは相容れない。
その後は、父親的な存在である谷口の影響から小野田がどう変化していくのかが、ひとつの見所になる。ジャングルに潜伏する小野田が、日本からやって来た捜索隊のなかに父親を見出す場面は印象深い。かつて谷口は必ず迎えに行くと言っていたが、その代わりに小野田の前に現れたのは、旅行者を名乗る若者・鈴木紀夫だった。その鈴木との距離が次第に縮まり、彼が勧める酒を味わったときに、小野田の脳裏をよぎるのは、最後に父親と会ったときに酒を拒んだことかもしれない。