ONODA 一万夜を越えて
Onoda, 10000 nuits dans la jungle


2021年/フランス=日本=ドイツ=ベルギー=イタリア/カラー/174分/1.85/5.1ch
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(初出:)

 

 

父親、あるいは父親的存在との関係がいかに変化するのか
フランスの新鋭監督が独自の視点で描く小野田寛郎の物語

 

[Introduction] 小野田寛郎の30年間を描いた「ONODA 30 ans seul en guerre」(著:Bernard Cendoron)を元に着想、映画化 された本作。監督は、フランス映画界で今最もその手腕が注目されているアルチュール・アラリ、今回は脚本も手掛けている。ほとんどの日本人キャストはオーディションにより選考、約4ヶ月間にわたるカンボ ジアでの撮影では、スタッフとキャストが一丸となって臨場感あふれるシーンを作り上げた。国際共同製作映画でありながら、ほぼ全編が日本語のセリフで紡がれているこの異色作は、第74回カンヌ国際映画祭 2021にて「ある視点」部門でのオープニング作品に選ばれた。
 1974年3月、作戦任務解除令を受けて51歳で日本に帰還した小野田寛郎(おのだ ひろお)、当時の日本では彼の存在自体が衝撃的な事件として大きく報道され、社会現象にまでなった。 (プレス参照)

[Story] 終戦間近の1944年、陸軍中野学校二俣分校で秘密戦の特殊訓練を受けていた小野田寛郎は、劣勢のフィリピン・ルバング島にて援軍部隊が戻るまでゲリラ戦を指揮するよう、命令を受ける。「君たちには、死ぬ権利はない」出発前、谷口教官から言い渡された最重要任務は“何が起きても必ず生き延びること”。玉砕は決して許されなかった。
 しかし彼を待ち構えていたのはルバング島の過酷なジャングルだった。食べ物のもままならず、仲間たちは飢えや病気で次々と倒れていく。それでも小野田は生きるために、あらゆる手段で飢えと戦い、雨風を凌ぎ、仲間を鼓舞し続ける。必ず援護が来ると信じて。

[以下、短いレビューになります]

 本作でまず注目したいのは、『汚れたダイヤモンド』(16)で長編デビューを果たし、注目を集めた新鋭アルチュール・アラリが、どのように小野田寛郎のことを知り、映画化しようと思ったのかということだ。プレスに収められたアラリのインタビューから、その答えになるコメントを引用しておきたい。

「前作の『汚れたダイヤモンド』の撮影に入る何年も前から冒険をテーマにした映画を創りたいと考えていました。ジョセフ・コンラッドやロバート・スティーヴンソンの海洋小説や冒険小説にはまって、単独航海や極地探検に興味をそそられていたところでした。
ある日、そのことを父に話すと、まるで冗談を言うように、何年も孤島で過ごしたある日本兵の驚くべき話を教 えてくれたのです。小野田さんのことを知ったのは、それが最初でした」

 さらに、もうひとつ重要だと思えるのが、小野田が書いた『小野田寛郎―わがルバン島の30年戦争』を読んだかという質問に対する以下のような答えだ。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   アルチュール・アラリ
Arthur Harari
撮影監督 トム・アラリ
Tom Harari
編集 ローラン・セネシャル
Laurent Senechal
 
◆キャスト◆
 
小野田寛郎(青年期)   遠藤雄弥
小野田寛郎(成年期) 津田寛治
小塚金七(青年期) 松浦祐也
小塚金七(成年期) 千葉哲也
鈴木紀夫 仲野太賀
小野田の父 諏訪敦彦
谷口義美 イッセー尾形
-
(配給:エレファントハウス)
 

「あの本のことは、映画の台本が書き終わって撮影を始めようかというタイミングで知りました。読まなかったことで、自由に人物を描くことができ、逆によかったです。私にとって、小野田さんとは、あくまでも物語を動かす架空の人物であったため、小野田さん自身の主観に囚われたくはありませんでした」

 本作に描かれる小野田と実話を比較してみてもあまり意味はないだろう。むしろ、本作と比較する必要があるのは、アラリのデビュー作『汚れたダイヤモンド』だ。もちろんその設定はまったく違うが、2作品には見逃せない共通点がある。

 『汚れたダイヤモンド』は、体裁はフィルム・ノワールだが、その枠に収まらない独自の視点が埋め込まれている。特に興味深いのが、主人公ピエールと父親や父親的な存在との関係だ。ピエールの父親は、ダイヤモンド商の家に生まれたが、若い頃に原石をカットしていて誤って指を失い、不遇の人生を送ることになった。ピエールが窃盗団の一員になっているのも、そんな父親の存在と無関係ではないだろう。彼は、父親を追いつめ、ダイヤモンド商を引き継いでいる伯父を恨んでいる。

 そんなピエールは、惨めな最期を迎えた父親の葬儀をきっかけに、伯父の息子と親しくなり、一族に迎え入れられ、復讐する機会をうかがう。だが、ダイヤモンド取引の世界に分け入った彼は、次第にダイヤの輝きに魅了されていく。彼は、伯父が信頼する熟練のカット職人リックに弟子入りし、才能を開花させていく。すると、伯父も彼に信頼を寄せるようになる。さらに、一族の命運の鍵を握るインド人のダイヤモンド商からも信頼を得る。

 ピエールにとって、これまで父親に近い役割を果たしてきたのは、窃盗団のリーダー、ラシッドだった。だから、伯父が仕入れた高価なダイヤを奪う計画をラシッドに持ちかけ、復讐を果たそうとする。だが、伯父の一族やダイヤを扱うプロたちと親しくなるにしたがって、その図式が変化する。カット職人のリックやインド人のダイヤモンド商、伯父までもが父親的な存在となり、緊張に満ちた結末を迎えることになる。

 そして本作でも、主人公の小野田と父親や父親的な存在との関係が意識され、巧みな構成によってその影響が強調されている。もともと小野田は航空兵になるために士官学校に行ったが、高所恐怖症のため航空兵には向かないと判断され、薬で恐怖をおさえて特攻隊になる方法もあったが、それもできなかった。そんな挫折を味わい、自暴自棄になっている小野田の前に、陸軍中野学校二俣分校の谷口教官が現れる。谷口は、小野田が死にたくないと思っていることを見ぬいていて、救いの手を差し伸べる。

 だが、それがどんな救いの手であるのかはすぐにはわからない。そこを省略していきなり3ヶ月後、小野田が旅立つ前に、父親と酒を酌み交わす場面に変わる。その間に小野田の顔つきは明らかに変わっている。彼は自分の任務についてなにも語ろうとはせず、酒も拒む。父親はそんな息子に、いざというときに自決するための短刀を差し出す。

 この時点で小野田に父親(的な存在)として影響を及ぼしているのは、谷口教官だが、その谷口と父親がどう違うのかがわかるのは、ルバング島のジャングルで攻撃にさらされた後、生き残った部下に任務を打ち明けるときだ。谷口は、「君たちに死ぬ権利はない、他のすべての兵士たちが死を望もうとも、君たちはそうしてはならない。常に別の解決策を見つけろ」と命じていた。それは、短刀で自決することとは相容れない。

 その後は、父親的な存在である谷口の影響から小野田がどう変化していくのかが、ひとつの見所になる。ジャングルに潜伏する小野田が、日本からやって来た捜索隊のなかに父親を見出す場面は印象深い。かつて谷口は必ず迎えに行くと言っていたが、その代わりに小野田の前に現れたのは、旅行者を名乗る若者・鈴木紀夫だった。その鈴木との距離が次第に縮まり、彼が勧める酒を味わったときに、小野田の脳裏をよぎるのは、最後に父親と会ったときに酒を拒んだことかもしれない。

 

(upload:2021/10/05)
 
 
《関連リンク》
アルチュール・アラリ 『汚れたダイヤモンド』 レビュー ■

 
 
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