ニュージーランド出身のピーター・ジャクソンには、『バッド・テイスト』『ミート・ザ・フィーブルズ』『ブレイン・デッド』など、もはや笑うしかないほどに過剰なスプラッター描写とあくの強いブラック・ユーモアで迫ってくるホラーの異才といった印象があった。
ところが、新作の『乙女の祈り』は、同じ監督の作品とは思えないほどの変貌ぶりを見せている。実話を題材にしたこの映画では、ふたりの少女の不安定な心理や絆が、純粋さや瑞々しさと残酷さや毒々しさが入り混じるユニークな映像を通して描きだされている。
その実話とは、ニュージーランドで1954年に起こった事件で、女子校に通うふたりの少女ポウリーンとジュリエットが、周囲から同性愛のレッテルを貼られ、引き裂かれそうになったことから、ストッキングに詰めたレンガでポウリーンの母親を殺してしまったというものだ。
この映画では、そんな悲劇的な結末へと向かうドラマの流れのなかで、ふたり少女の内面に芽生え、とめどなく膨れ上がっていく妄想的な世界が、浮き彫りにされていく。疎外された彼女たちが、自分たちの世界に閉じこもり、妄想を膨らませていくという意味では、ティム・バートンの世界に近いものを感じさせないでもないのだが、この映画の世界には、明らかにニュージーランドの土壌というべきものが反映されている。
最初に注目しなければならないのは、ふたりのヒロインの対照的なキャラクターだろう。ポウリーンは、貧乏学生相手の下宿屋を営む粗野な家庭の娘であり、ジュリエットは、イギリスからの転校生で、カンタベリー大学の学長の娘である。
ポウリーンは、小柄でずんぐりしていて、猫背で首をすぼませ、コンプレックスの固まりで、他人と視線を合わせることすら恐れている。ジュリエットは、すらりとしていて、物腰も洗練され、教養豊かで、教師などに対しても挑発的な態度をとる。また、ポウリーンは、どこかに行けるような希望がないのに対し、ジュリエットは、結核の療養ということもあり、各地を転々としている。そんなふたりが、お互いに引きつけあい、孤立した世界を作り上げていくのだ。
同じニュージーランドの監督ジェーン・カンピオンの『エンジェル・アット・マイ・テーブル』のヒロイン、ジャネットは、無意識のうちに現実的なニュージーランドの土壌とイギリスの文化的な土壌という二重性のなかに身を置き、それが、彼女に貼られる精神分裂症というレッテルとも結びついていた。『乙女の祈り』では、そんな二重性が、ふたりのヒロインに反映されていると見ることができる。 |