[概要] 今からおよそ150年前、アメリカに耳を疑うようなヒーローが実在した。南北戦争が激化するなか、黒人と白人が手を結ぶなどあり得なかった南部において、貧しい白人の脱走兵と農民たち、逃亡した黒人奴隷約500人で結成された反乱軍を率いて、南軍100万人に立ち向かったのだ。彼の名はニュートン・ナイト、目的は<真の自由>だ。1864年、出身地であるミシシッピ州ジョーンズ郡に、肌の色、貧富の差、宗教や思想に関係なく、誰もが平等な<自由州>の設立を宣言した。
それは、14歳の少年の夢を砕いた1発の銃弾から始まった。時は1862年、南北戦争で二つに引き裂かれたアメリカで、ニュートン・ナイトは甥の遺体を家族に届けようと南軍を脱走する。故郷で仲間の農民たちから農作物を奪う南軍と衝突したニュートンは、追われる身となって湿原に身を隠す。そこで出会った黒人の逃亡奴隷たちと友情を築いたニュートンは、黒人と白人が一つになった前代未聞の反乱軍を結成し、自由のために立ち上がる――。[プレスより]
[以下、本作のレビューになります]
アメリカ南北戦争の時代を背景にしたゲイリー・ロス監督の『ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男』は、歴史に埋もれた傑物に光をあてる。物語は、南軍の衛生兵ニュートン・ナイトが脱走するところから始まる。追われる身となった彼は、潜伏先の沼地で逃亡奴隷や脱走兵と交流を深め、やがて彼らに南軍の過酷な徴収に苦しむ農民なども加えた反乱軍(一時は500人を超えたという)を率い、南軍に立ち向かう。そして、出身地であるミシシッピ州ジョーンズ郡において、誰もが平等な「自由州」の設立を宣言する。
この映画は、南部における白人と黒人の関係をあらためて考えてみる糸口にもなる。ニュートンに脱走を決意させた要因のひとつは、20人以上の奴隷を所有する家庭の息子は兵役を免除されるという法律だった。奴隷を持たない彼は、貧しい者が金持ちのために血を流す戦争の実態に反発した。南部の白人社会は一枚岩ではなく、格差が存在していた。
では、そんな背景があったために、追いつめられた貧しい白人とプランテーションから逃亡してきた黒人奴隷が、人種の壁を越えて結束することになったのか。この映画を観ながら筆者が思い出していたのは、ジョン・リーランドの『ヒップ――アメリカにおけるかっこよさの系譜学』の以下のような記述だ。
「(前略)北アメリカでは、綿繰り機の発明により大規模プランテーションの成長に拍車がかかることになった一七九三年まで、農場のほとんどは小さく、奴隷もわずかしか必要ではなかった。両人種は、平等ではないものの、共に親密に暮らしていたのである。白人植民者のほとんどは奴隷を持つことすらなかったのであり、年季奉公人ないし貧しい賃金労働者として、奴隷と並んで農作業を行うことさえしばしばあった」
白人と黒人の間に元々そんな関係があり、ニュートンが設立した自由州にそれが再現されていると見ることには意味がある。揺るぎない人種の壁に対して制度としての自由を確立することと、生活に根ざした関係を通して自由を見出すことはまったく違う。ヨーロッパでもなくアフリカでもないアメリカ独自の文化は、境界が曖昧だった社会の周縁における人種混淆から生まれてきたからだ。 |