同じ場所や風景であっても、あらかじめ想定された目的地として接するのと、寄り道で心の準備もなく向き合うのとでは、その見え方も心の動きも変わってくる。この新作では、そんな目的地と寄り道のコントラストがこれまで以上に際立つ。
老父ウディと次男デイビッドの目的地はネブラスカ州リンカーンであり、ふたりは、ラシュモア山を見学するような観光気分の寄り道はしても、どこかに長居をするつもりはなかった。ところがウディが頭を縫うケガをしたことで、彼らは予定外の帰郷を果たし、過去を旅することになる。そんな寄り道で印象に残るのは、たとえ歩いてでもリンカーンに向かおうとするウディが、帰郷という提案には端から乗り気でなく、実際、喜んでいるようには見えないことだ。
そこで、この映画のもうひとつの注目点に話を進めたい。それはモノクロの映像にも関係している。ペインはサイレント映画に強い愛着を持ち、それが作品の細部にも表れている。『アバウト・シュミット』の冒頭では、主人公が退職するまでの最後の1分間が、オマハの風景や時計とそれを見上げる顔のカットなどを組み合わせ、台詞なしで表現されている。
『サイドウェイ』で、まだ未練のある前妻が再婚したことを知った主人公が、ワインをがぶ飲みしながら急斜面を駆け下りる場面や、『ファミリー・ツリー』で、長女から妻の浮気を知らされた主人公が、相手の正体を確かめるために親友の家までサンダルで走っていく場面では、明らかにサイレントの身ぶりが意識されている。
しかし、ペインがサイレント映画から吸収したものはそれだけではないだろう。映画は足し算ではなく引き算によって、想像力をかき立てる空間が広がる。『ファミリー・ツリー』では、昏睡に陥った妻が沈黙しつづけることで、彼女を取り巻く登場人物にも観客にも想像の余地が生まれ、多様な感情が引き出される。
この新作の魅力も、沈黙を最大限に生かし、私たちに主人公の内面を想像させるところにある。ウディはお人好しのようだが、果たして本当にインチキを信じていたのだろうか。たとえば、手紙が届いたときには軽い気持ちで当たったと言っただけかもしれない。しかし、あまりにも口が悪い妻に散々バカにされるうちに、意地を張るようになったとも考えられる。また、故郷では、懸賞金の話でみんなの表情や態度が変わるのを面白がっているようにも見える。
いずれにしてもペインは、寄り道によって故郷に対するウディのアンビバレントな感情を巧みに炙り出している。そして、そんな感情と懸賞金が絡み合うとき、もはや当たり外れは重要ではなくなっている。なぜなら親子の旅の目的地はリンカーンではなく、ホーソーンに変わっているからだ。
ウディは故郷に凱旋する。この場面は、もとの脚本ではウディが得意気に助手席に座り、デイビッドが運転するという画になっていたという。ペインはそれをウディの凱旋に変え、エドやペグをめぐる過去への旅の終わりを見事に表現してみせる。そこにも、サイレントを愛するこの監督の美学を垣間見ることができるだろう。 |