クリスティアーノ・ボルトーネ監督の『ミルコのひかり』の物語は、イタリア映画界の第一線で活躍する音響編集者ミルコ・メンカッチの実話がもとになっている。しかし、この映画は、伝記的な要素を前面に出した作品ではない。ボルトーネ監督は、ミルコの少年時代の体験に着目し、普遍的な物語を作り上げている。その物語の鍵を握るのは、子供の想像力だ。
現実の世界のなかで困難に直面した少年や少女が、その豊かな想像力によって異世界を作り上げ、冒険を通して成長を遂げ、過酷な現実を乗り越えていく。現実と幻想が錯綜する世界のなかに重要な通過儀礼が埋め込まれたそんな物語は、映像作家にとって魅力的な題材となっている。
たとえば、テリー・ギリアム監督の『ローズ・イン・タイドランド』では、少女ローズが、荒野のなかで孤児になる危機に直面する。孤立する彼女は、バービー人形の首や意味不明な言葉を話すリス、そして、魔女を思わせるデルと、彼女の弟で巨大なサメ退治に執念を燃やすディケンズなどに導かれるように、グロテスクな世界に踏み出していく。そして、異世界が現実を歪め、彼女は、生きていくために必要な新しい家族と出会う。
1944年のスペインを舞台にしたギレルモ・デル・トロ監督の『パンズ・ラビリンス』では、少女オフェリアが、母親の再婚をきっかけに、フランコ軍と抵抗を続けるゲリラの争いに巻き込まれていく。孤独な彼女は、森にある廃墟で牧神に出会い、試練を課せられる。それに耐え抜けば、彼女が魔法の王国の王女であることが証明されるのだ。牧神は彼女を悪夢のような迷宮に導く。しかし、その異世界は現実と繋がっている。彼女が試練を通して戦っているのは、実はファシズムという怪物であるからだ。
さらに、ラース・フォン・トリアー監督の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』にも注目しておくべきだろう。これは少年や少女の物語ではないが、フォン・トリアー監督は、森に住む孤独な少女が、苦難の果てに王子に出会う童話にインスパイアされて、この物語を作った。60年代初頭にチェコからアメリカに渡り、女手ひとつで息子を育てているセルマは、遺伝性の病のために視力を失いつつある。そんな彼女は、さらなる苦難に襲われ、極刑を宣告される。だが、彼女のミュージカルへの強い憧れが、異空間=ミュージカル仕立てのファンタジーを生み出していく。そして彼女は、想像力によって現実を捩じ曲げ、憧れの舞台に立つ超越的な瞬間を迎えるのだ。
『ミルコのひかり』にも、そんなふうに想像力が現実を変えていく物語がある。事故で視力を失ったミルコは、全寮制の盲学校に送られる。心を閉ざし、孤立する彼は、やがて古ぼけたテープレコーダーに“ひかり”を見出す。録音したテープを切り張りすることによって、異世界を作り上げていくのだ。そこでは、幽閉された王女を救い出すために、彼女の兄弟たちが恐ろしい竜に戦いを挑む。そして、彼の音の世界はやがて、盲人の可能性を閉ざす制度を変えていくことにもなる。
だが、この映画の場合は、困難に直面したミルコが、ひとりで異空間を作り上げるのではない。ミルコが盲学校で最初に親しくなるフェリーチェは、風や蜂の羽音のアイデアを提供する。王女とその兄弟たちの物語を創作するのも、ミルコではなくフランチェスカだ。つまり、音が仲間の輪を広げ、その輪から異空間が生み出される。異空間は、ひとりの主人公の内的世界だけにあるのではなく、共有され、広がっていく。 |