メメント

2000年/アメリカ/カラー&モノクロ/113分/シネスコ/ドルビーSRD
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(初出:「Pause」2001年12月号、加筆)
現在の無限の繰り返しという牢獄

 映画『メメント』の主人公レナードは、妻がレイプされ、殺害されるのを目撃したショックで、前向性健忘という記憶障害になる。彼は事件以前のことは覚えている。しかし事件以後については、数分前の記憶が次々と消失していってしまうのだ。

 それでも妻の恨みを晴らすためには、失われていく記憶を何とかして脳ではない外部にとどめ、再構築することによって、自分が置かれた状況を把握しなければならない。

 神経科学者V・S・ラマチャンドランが書いた『脳のなかの幽霊』のなかに、こんなエピソードが紹介されている。きわめて難治性のてんかんに苦しむある患者が、左右の脳から病気の部分を除去する手術を受けたところ、手術前の出来事はすべて思い出せるのに、新しい記憶を形成することができなくなった。

 手術で切除された部位のなかには、海馬と呼ばれる小さな組織が含まれていた。そのことから海馬が、記憶痕跡を脳に定着させるのに不可欠であることがわかった。

 本書によると、慢性アルコール症や低酸素症が原因で同じタイプの記憶喪失になることも多々あるという。こうした患者は、損傷を受けたあとのことはなにも記憶されないため、こんなことが起こる。

たとえば先週の新聞を毎日読んだとしたら、毎回まったく新しい新聞を読むように読む。推理小説も、何度もくり返して読める。プロットや意外な結末を何度でも楽しめるのだ。私が同じジョークを何回言っても、そのたびに落ちのところで心から笑う

 主人公レナードはまさにそんな状態にある。そこで彼は、外部に記憶をとどめるため、事件に関係する場所や人物をポラロイドで撮り、手がかりをメモする。そのメモも他人に改ざんされる不安があり、ついには情報をタトゥーとして身体に刻み込み、犯人を追いかける。

 しかし、断片的な情報は矛盾し、謎は深まる。自分に近づく人間たちの誰を信じてよいのかわからない。記憶が次々と消失していくなかで、現実と虚構は入り乱れていく。

 この映画の面白さがパズルやゲーム的な要素が生み出す複雑さにあると考える人は少なくないだろう。しかし筆者は、冷戦構造が崩壊し、なし崩し的なグローバリズムが世界を覆おうとする時代に、アメリカから生み出されるべくして生み出された映画であると思う。


◆スタッフ◆

監督/脚本
クリストファー・ノーラン
Christopher Nolan
原案 ジョナサン・ノーラン
Jonathan Nolan
撮影監督 ウォリー・フィスター
Wally Pfister
編集 ドディ・ドーン
Dody Dorn
音楽 デイヴィッド・ジュルヤン
David Julyan

◆キャスト◆

レナード
ガイ・ピアース
Guy Pearce
ナタリー キャリー=アン・モス
Carrie-Anne Moss
テディ ジョー・パントリアーノ
Joe Pantoliano
バート マーク・ブーン・ジュニア
Mark Boone Junior

(配給:アミューズピクチャーズ)
 


 たとえば、アメリカ型市場主義としてのグローバリズムを痛烈に批判するジョン・グレイの『グローバリズムという妄想』のなかには、このような記述がある。「自由市場は現代世界に存在する伝統を分解するのにもっとも効力がある。自由市場は新しいものを重視し、過去を軽視する。それは未来を現在の無限の繰り返しにする

 人は記憶によって自分を確認している。昔は、その記憶が積み重ねられていくに従って、歴史や伝統との接点が広がり、ひとつの大きな世界と繋がるためのパイプとなった。しかし現代では、記憶は歴史や伝統と繋がるパイプとはなりえない。様々なメディアに取り巻かれ、消費社会が加速していく時代のなかで、欲望や現実とともに記憶もひたすら断片化、細分化されていくからだ。

 われわれは、過去という土台もないところで、断片化された記憶を無意識のうちに繰り返し再構築しながら、自分を確認し、世界を見ている。しかし、そんな作業のなかで、少しずつ確実に現実と虚構がすりかえられ、気づかぬうちに現実を見失っているかもしれない。この映画は、極めて特殊な状況を描いているかに見えながら、そんな現代の危うさを過剰なかたちで浮き彫りにしてもいる。


《参照/引用文献》
『脳のなかの幽霊』V・S・ラマチャンドラン、サンドラ・ブレイクスリー●
山下篤子訳(角川書店) 1999年
『グローバリズムという妄想』ジョン・グレイ●
石塚雅彦訳(日本経済新聞社) 1999年

(upload:2002/03/03)
 
 
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