クリストファー・ノーランの新作『プレステージ』は、複数の時間の流れが交錯する上に、観客を惑わす仕掛けが散りばめられた複雑な構造を持つ作品だ。
19世紀末のロンドンを背景にした物語は、ロバート・アンジャーとアルフレッド・ボーデンというふたりの優れた奇術師の攻防を軸に展開していく。すべての発端は、彼らの修行時代に遡る。アンジャーの妻で、彼らの師の助手を務めていたジュリアが、水中脱出に失敗して溺死する事故が起こる。彼女の手をロープで結んだのはボーデンだった。
それ以来、彼らは因縁のライバルとなり、相手に対する卑劣な営業妨害なども含めて、熾烈な競争を繰り広げていく。そして、そんな彼らを虜にしていくのが、奇術師が一瞬のうちに離れた場所に移動する「瞬間移動」のマジックだ。彼らは究極の「瞬間移動」を我がものにするために、しのぎを削り、人生を狂わせていく。
この物語の時間の流れは、大きく三つに分けられる。ひとつは、この修行時代に始まる彼らの攻防であり、他のふたつは「瞬間移動」を対照的な視点からとらえていく。
ボーデンが生み出した「瞬間移動」のトリックを探り続けてきたアンジャーは、実在の科学者ニコラ・テスラが開発した電気の技術が関与していることを知り、アメリカに渡ってテスラに瞬間移動装置の制作を依頼する。
これに対して、現在の物語では、今度はボーデンの方が、アンジャーが完成させた「瞬間移動」のトリックを探るために、舞台の下に潜り込む。ところがそこで、水槽のなかで苦しむアンジャーの姿を目の当たりにし、結局、彼を溺死させた罪で投獄されてしまう。
このふたつの物語には、アメリカに滞在するアンジャーがボーデンの日記を、投獄されたボーデンがアンジャーの日記を読み進むという展開があり、過去が塗り替えられていく。
クリストファー・プリーストの原作に縁のない人は、最後に明らかになる驚愕の真実に拍子抜けするかもしれない。しかしそれは、単なるオチではない。この映画がとらえているのは、ベンヤミンが「複製技術時代の芸術作品」で明らかにしたような、複製技術の台頭による芸術の転換点だ。それを、いま見ても新鮮に感じる独自の視点で描き出しているのだ。
当時、ベンヤミンが特に注目したのは、19世紀末に発明され、他の芸術に多大な影響を及ぼした“映画”だったが、この映画のなかでステラが作り上げる装置を映画に置き換えてみれば、装置が象徴するものがより明確になることだろう。
しかしもちろん、この映画で最も重要な役割を果たしているのは、マジックの世界だ。ボーデンとアンジャーは「瞬間移動」をめぐって最終的に、オリジナルと複製という異なる次元に身を起き、対峙する。だが、観客に見えるものがすべてであるマジックの規律が、そんな現実を完全に覆い隠してしまう。
だから彼らは、お互いを分かつ分岐点も見えないままに、より奇跡に近く見える結果だけを求めて、極限までせめぎあう。 |