異形の人々を被写体とすることによって、自己を見つめ、内面を掘り下げた写真家ダイアン・アーバス。スティーヴン・シャインバーグ監督の新作『毛皮のエロス』は、彼女を題材にしているが、“幻想のポートレイト”という副題が示唆するように、史実に忠実な作品ではない。シャインバーグは、独自の観点からダイアン・アーバスの内面に分け入り、写真家に目覚めていく彼女の変化を描き出している。
その内面世界への入口になるのは、ダイアン・アーバスの愛読書だった『不思議の国のアリス』だ。映画のもとになったパトリシア・ボズワースの伝記『炎のごとく』には、こんな記述がある。「成長することをテーマとするこのお気に入りの本を、彼女は大人になっても何度も読みかえし、謎々を暗記し、無限につづく異常なものたちの王国をそらんじていた」。「アリスのように、ダイアンはいつも疑問を抱いていた。何が正常なのか? 何が異常なのか? 何が動物的で何が人間的なのか? 何が本当で、何が見せかけなのか? ダイアンにはまったく確信が持てなかった」
“アリス”をモチーフにした映画といえば、まず少女の冒険や成長が思い浮かぶ。ルイ・マル監督の『ブラック・ムーン』では、終末的な世界を彷徨う少女が、一角獣に導かれてある屋敷にたどり着き、奇妙な住人たちに翻弄されながらも次第にそこに秩序を見出していく。テリー・ギリアム監督の『ローズ・イン・タイドランド』では、荒野で孤児になる危機に直面した少女が、幻想世界を生み出すことによって過酷な現実を乗り越えていく。
だが、『毛皮のエロス』のヒロインはもちろん少女ではない。裕福な家庭に育ったダイアンは、1958年のニューヨークで、ファッションカメラマンの夫の助手を努め、娘たちを育てながら、満たされない思いを抱えている。そんな彼女は、アパートの上階に越してきたマスクの男に惹きつけられていく。彼女が勇気を奮い起こして男の部屋の扉を開けると、そこには全身毛むくじゃらの男が治める王国がある。彼女は、その多毛症の男ライオネルと向き合うことで、本来の自分に目覚めていく。
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