プライベート・ウォー
A Private War


2018年/イギリス=アメリカ/英語/カラー/110分/スコープサイズ/5.1ch
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(初出:『プライベート・ウォー』劇場用パンフレット)

 

 

現代における戦争を強く意識して
メリー・コルヴィンの実像に迫る

 

[解説] 英国サンデー・タイムズ紙の特派員として、世界中の戦地に赴き、レバノン内戦や湾岸戦争、チェチェン紛争、東ティモール紛争などを取材してきた女性記者、メリー・コルヴィン。その後、スリランカ内戦で左目を失明し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみながらも、黒の眼帯をトレードマークに、世間の関心を紛争地帯に向けようと努めた“生きる伝説”は、2012年、シリアで受けた砲撃で命を落とす――。

 真実を伝える恐れ知らずのジャーナリストとして戦地を駆け抜けながらも、多くの恋をし豊かな感性で生き抜いた彼女の知られざる半生が今、語られる。

ヴァニティ・フェア誌に掲載された記事を基に、名女優シャーリーズ・セロンがプロデューサーとして参加した本作『プライベート・ウォー』。『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』のアラッシュ・アメルによる脚本を映画化したのは、オスカー候補にもなった『カルテル・ランド』『ラッカは静かに虐殺されている』など、これまで骨太なドキュメンタリーを手掛けてきたマシュー・ハイネマン監督。[プレス参照]

[以下、本作のレビューになります]

 『カルテル・ランド』『ラッカは静かに虐殺されている』という2本のドキュメンタリーで世界的な注目を集めるマシュー・ハイネマン監督の新作は、伝説的な戦場記者メリー・コルヴィンの実像に迫る劇映画だ。その物語は、スリランカやリビア、シリアなどの紛争地帯における彼女の活動とPTSD(心的外傷後ストレス障害)や戦争中毒をめぐる苦悩や葛藤を軸に展開していく。そこには、現代における戦争に関心を持つハイネマンの独自の視点が反映され、ドキュメンタリーに通じる世界が浮かび上がってくる。

 ハイネマンは2本のドキュメンタリーで、主に3つのポイントから現代の戦争を描き出している。まず、一方的な暴力で勢力を広げる麻薬カルテルやイスラム国(IS)といった武装集団と何らかの抵抗を余儀なくされる市民の図式が形作られる。次に、暴力だけでなく、メディアによる事実の歪曲も視野に収めつつ真実が探求される。たとえば、メキシコではこれまで映画や音楽によって麻薬密輸の世界が美化されてきたことを踏まえるなら、危険な麻薬戦争の実態を明らかにすることがどんな意味を持つかがわかるだろう。そして最後に、抵抗する市民の内面も掘り下げられ、個人の力の限界をめぐる葛藤が炙り出される。

 では、本作にそんなハイネマンの視点がどのように反映されているのか。まず、武装集団と市民の図式から考えてみたい。イラクのホテルでメリーはケイトに、「大事なのは戦争による犠牲者。人は人と繋がっている。だから人々の物語を語る。他はどうでもいい」と語る。彼女は常に市民の立場に立つ記者だが、だからといって記者と市民を同一視することはできない。しかし、その記者と市民の距離は、2001年から2012年に至る物語のなかで確実に縮まっていく。


◆スタッフ◆
 
監督/製作   マシュー・ハイネマン
Matthew Heineman
脚本 アラッシュ・アメル
Arash Amel
製作 シャーリーズ・セロン
Charlize Theron
撮影監督 ロバート・リチャードソン
Robert Richardson
編集 ニック・フェントン
Nick Fenton
作曲 H・スコット・サリーナス
H. Scott Salinas
 
◆キャスト◆
 
メリー・コルヴィン   ロザムンド・パイク
Rosamund Pike
ポール・コンロイ ジェイミー・ドーナン
Jamie Dornan
ショーン・ライアン トム・ホランダー
Tom Hollander
トニー・ショウ スタンリー・トゥッチ
Stanley Tucci
-
(配給:ポニーキャニオン)
 

 注目したいのは、メリーの活動がスリランカの内戦から始まることだ。彼女は、タミル・イーラム解放のトラの戦士たちと移動中に、待ち伏せていた政府軍の攻撃を受ける。そのとき彼女は、両手を上げて立ち上がり、「武器は持っていない、アメリカ人記者」と叫ぶ。なぜそうするのかといえば、これまでは身の安全を確保するために有効だったからだろう。しかし彼女は、砲撃によって左目の視力を失う。

 このエピソードは、戦場における記者の立場が変わり目にあることを示唆し、その後はさらに悪化していく。アラブの春で揺れるリビアでは、メリーの上司ショーンから彼女に、「記者が狙われている。前線に行くな」というメールが届き、彼女の同志ノームが命を落とす。シリアでも記者が標的にされ、メリーは市民とともに追い詰められていく。

 メディアによる事実の歪曲と真実の探求については、その表現が間接的で目立たないが、メリーを理解するヒントになると思えるので補足しておきたい。本作の導入部では、メリーのパソコンがフリーズし、それに気づいたケイトが手助けをする。彼女はイラクのホテルでもパソコンのトラブルに見舞われ、ファイルの回復をカメラマンのポールに頼む。また、戦渦に巻き込まれた人々を取材するときには、ノートにメモを取る。

 メリーはテクノロジーに疎かった。それは、テクノロジーが急速に進化し、インターネットやSNSが紛争にも大きな影響を及ぼす時代には、足枷にもなりかねない。メリーもそれを自覚していたようで、本作のもとになったヴァニティ・フェア誌の記事によれば、TwitterやYouTubeによって急速に変化する世界のなかで、自分を時代遅れの記者のように感じることもあったという。

 しかし、ハイネマンはそのことをむしろ彼女の強みととらえている。進化するテクノロジーによって、世の中にはプロパガンダやフェイクニュースが溢れかえり、何が真実なのかわからなくなっている。だからこそ、自身が標的にされることを覚悟で戦場に向かい、真実を見極めようとする彼女の姿勢が重要になる。人と直接的に繋がるために行動する彼女には、テクノロジーは重要なものではなかったのだろう。

 そして、個人の力の限界をめぐる葛藤については、終盤のシリアで、メリーがなぜライブ中継というこれまでとは違う手段を選ぶのかを考えてみる必要がある。それは、単に状況が切迫しているからだけではなく、個人的な葛藤があるからだ。

 見逃せないのは、その少し前の場面で、メリーが赤ん坊を抱えた母親から「紙に書くだけでなく、子供が死んでいることを世界に伝えて」と要望されていることだ。二度の流産を経験しても子供を望んでいた彼女は、目の前の幼い命を救えないことに無力感を覚え、その場から世界に訴えかける手段を選択するのだろう。

 ハイネマンが現代における戦争を意識してメリーに迫った本作は、戦渦に巻き込まれた市民の立場から真実を探求することが、いかに重要であり、ますます危険で困難になっているのかを物語っている。

《参照/引用文献》
“Marie Colvin’s Private War” by Marie Brenner●
(Vanity Fair, August 2012)

(upload:2020/04/06)
 
 
《関連リンク》
マシュー・ハイネマン 『カルテル・ランド』 レビュー ■
マシュー・ハイネマン 『ラッカは静かに虐殺されている』 レビュー ■
オサーマ・モハンメド 『シリア・モナムール』 レビュー ■
ワアド・アルカティーブ 『娘は戦場で生まれた』 レビュー ■

 
 
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