粗暴な父親に縛り付けられているローズは、カフェの窓から疾走する若者たちを眺めるばかりで、時代から取り残されている。彼女がピンキーに惹かれていく背景には、そんな焦燥感がある。ローズは、ピンキーが彼女の父親に支払う金によって自由を買おうとする。
だが、ピンキーの場合は、彼女とはまったく違う。上の世代に反抗するのは、モッズやロッカーズと同じだが、ピンキーは彼らのようにグループで行動することがなく、ギャングの結束も乱し、誰も信じることなく常に孤立している。彼はソシオパス(社会病質者)に近く、60年代よりも現代を象徴しているように見える。
筆者は2010年の東京国際映画祭でこの映画が上映されたときに来日したジョフィにインタビューする機会に恵まれたが、そんなピンキーの印象を伝えると、以下のような答が返ってきた。
「そういうふうに言っていただいてとてもうれしいです。“モノマニアック”ということですね。この言葉は、自己中心的でとにかく人と接することができない、相手が自分の目的に利用できる場合以外は、すべての関係を排除するような人間を意味するのですが、ピンキーはまさにそれだと思います。だからグループに属せないし、属したくもない。考えてみると、私たちはお互いが信じられなくなるようなパラノイアの時代に生きています。気をつけないと、私たちが向かっている世界をピンキーが表しているということになりかねません」
この映画では、異なる欲望や衝動に駆り立てられるピンキーとローズの関係が、異様な緊張を生み出している。 |