女性監督ウニー・ルコントは、韓国のソウルで生まれ、9歳のときにフランスのパリ郊外に暮らすプロテスタントの家庭に養女として引き取られた。現在では韓国語はまったく話せないという。このデビュー作は、そんな彼女の少女時代の体験に着想を得ている。
『冬の小鳥』の舞台は、ソウル近郊にあるカトリックの児童養護施設にほぼ限定されている。時代は1975年。ベトナム戦争が終結した年だ。ヤン・イクチュン監督の『息もできない』に、後遺症に苦しむベトナム帰還兵の父親の姿が描かれていたように、韓国は60年代後半から70年代初頭にかけてベトナム派兵を行っていた。
以前読んだ朴根好の『韓国の経済発展とベトナム戦争』によれば、韓国軍の払った犠牲は、戦死者5051人、負傷者1万411人、枯葉剤後遺症患者3万人だという。この映画に描かれる施設にも、戦争が原因でそこに暮らすことになった子供がいると思われる。
だが、主人公である9歳の少女ジニの場合は、戦争が直接の原因ではない。物語は、父親とジニが施設に現れるところから始まり、少女だけが何の説明もないまま取り残される。だからこそ彼女は、自分は孤児ではないと頑なに主張しつづける。
戦争が「直接」の原因ではないと書いたのは、間接的に影響しているかもしれないからだ。ジニは健康診断のためにやってきた医師に、ぽつりぽつりと家族のことを語る。父親は再婚し、新しい母との間に赤ん坊が生まれた。ジニは、その赤ん坊に対して悪意を持っているように誤解されたと考えているようだが、それが原因なのかは定かではない。
朝鮮戦争後の韓国では、高い失業率や外貨の不足が大きな問題だったが、ベトナム特需によって高度経済成長を遂げていく。そうした急激な社会の変化が、ジニや家族の運命に影響を及ぼしている可能性は十分にありうる。
この映画が、施設を取り巻く社会の状況や少女の家族に関して様々な想像をかき立てるのは、主人公の少女、あるいは施設の少女たちの目線に立ち、背景に関する情報や説明を潔く切り捨てているからだ。
一方、少女たちのドラマそのものも、別な意味で想像をかき立てる。そのドラマに関して、筆者が特に注目したいエピソードがある。主人公のジニは夜中に、後に親しくなる年上のスッキが、誰にも気づかれないように身につけていたものを洗っているのを目にする。ジニにはスッキがやっていることの意味はわからないが、ふたりが言葉を交わすようになったときにスッキが事情を説明する。
細かい話になってしまうが、この部分をどうとらえるかによって、ウニー・ルコント監督の関心がより明確になるように思える。ジニが目にするスッキの行動というのは、大人であればだいたい察せられることであり、逆にジニのような子供には説明されたからといってあっさり理解できることではない。 |