冬の小鳥
Une Vie Toute Neuve / A Brand New Life


2009年/韓国=フランス/カラー/92分/ヴィスタ/ドルビーSRD
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(初出:未発表)

少女は生きていることを確認し、生きていくことを選択する

 女性監督ウニー・ルコントは、韓国のソウルで生まれ、9歳のときにフランスのパリ郊外に暮らすプロテスタントの家庭に養女として引き取られた。現在では韓国語はまったく話せないという。このデビュー作は、そんな彼女の少女時代の体験に着想を得ている。

 『冬の小鳥』の舞台は、ソウル近郊にあるカトリックの児童養護施設にほぼ限定されている。時代は1975年。ベトナム戦争が終結した年だ。ヤン・イクチュン監督の『息もできない』に、後遺症に苦しむベトナム帰還兵の父親の姿が描かれていたように、韓国は60年代後半から70年代初頭にかけてベトナム派兵を行っていた。

 以前読んだ朴根好の『韓国の経済発展とベトナム戦争』によれば、韓国軍の払った犠牲は、戦死者5051人、負傷者1万411人、枯葉剤後遺症患者3万人だという。この映画に描かれる施設にも、戦争が原因でそこに暮らすことになった子供がいると思われる。

 だが、主人公である9歳の少女ジニの場合は、戦争が直接の原因ではない。物語は、父親とジニが施設に現れるところから始まり、少女だけが何の説明もないまま取り残される。だからこそ彼女は、自分は孤児ではないと頑なに主張しつづける。

 戦争が「直接」の原因ではないと書いたのは、間接的に影響しているかもしれないからだ。ジニは健康診断のためにやってきた医師に、ぽつりぽつりと家族のことを語る。父親は再婚し、新しい母との間に赤ん坊が生まれた。ジニは、その赤ん坊に対して悪意を持っているように誤解されたと考えているようだが、それが原因なのかは定かではない。

 朝鮮戦争後の韓国では、高い失業率や外貨の不足が大きな問題だったが、ベトナム特需によって高度経済成長を遂げていく。そうした急激な社会の変化が、ジニや家族の運命に影響を及ぼしている可能性は十分にありうる。

 この映画が、施設を取り巻く社会の状況や少女の家族に関して様々な想像をかき立てるのは、主人公の少女、あるいは施設の少女たちの目線に立ち、背景に関する情報や説明を潔く切り捨てているからだ。

 一方、少女たちのドラマそのものも、別な意味で想像をかき立てる。そのドラマに関して、筆者が特に注目したいエピソードがある。主人公のジニは夜中に、後に親しくなる年上のスッキが、誰にも気づかれないように身につけていたものを洗っているのを目にする。ジニにはスッキがやっていることの意味はわからないが、ふたりが言葉を交わすようになったときにスッキが事情を説明する。

 細かい話になってしまうが、この部分をどうとらえるかによって、ウニー・ルコント監督の関心がより明確になるように思える。ジニが目にするスッキの行動というのは、大人であればだいたい察せられることであり、逆にジニのような子供には説明されたからといってあっさり理解できることではない。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   ウニー・ルコント
Ounie Leconte
プロデューサー イ・チャンドン
Lee Changdong
撮影 キム・ヒョンソク
Kim Hyunseok
編集 キム・ヒョンジュ
Kim Hyungjoo
音楽 ジム・セール
Jim Sert
 
◆キャスト◆
 
ジニ   キム・セロン
Kim Saeron
スッキ パク・ドヨン
Park Doyeon
イェシン コ・アソン
Ko A-Sung
寮母 パク・ミョンシン
Park Myoungshin
校長 オ・マンソク
Oh Mansuk
ジニの父 ソル・ギョング
Sul Kyounggu
医者 ムン・ソングン
Moon Sungkeun
-
(配給:クレスト・インターナショナル)
 

 「なにを描くか」ではなく「なにを描かないか」を強く意識する監督であれば、この部分はスッキに説明させずに、観客の想像に委ねることだろう。しかし、ウニー監督はあえて説明の場面を挿入する。それは、スッキとジニの現実に対するズレを示唆するためだろう。

 スッキは、信頼の気持ちを示すために事情を説明する。ジニはそれを聞いてわかったつもりになるが、実際にはスッキが内心いかに切迫しているかをわかっていない。だからこそジニは、後にスッキに裏切られたと感じることになる。

 そんなズレは、イェシンのラブレターをめぐるエピソードにも表れている。年長で足の悪いイェシンは、施設に出入する若者に想いを寄せている。彼女は手紙を書き、スッキやジニがそれを若者に渡す。やがて返事がきたとき、彼女たちは階段の上からイェシンが手紙を読むのを見つめる。

 返事の内容は、彼女たちの表情や行動から察せられるが、ウニー監督はそのあとにイェシン自身のカットを挿入する。確かにそこには現実に対するズレがある。彼女たちは、イェシンが失恋したことはわかるが、彼女が自殺しようとするほどの痛みを感じとることはできない。

 経験の浅い少女たちにとっては、頭でわかったつもりになることと、身をもって体験し、知ることはまったく違う。

 スッキに裏切られたと思い、父親の行方もわからなくなり、孤立していくジニは、自分はこの世に不要な存在であり、葬った小鳥と同じように死んでいるのではないかと考えるようになる。だから、小鳥と同じように自分を埋めようとする。自分が生きているのかどうかは、実際に埋めてみてはじめてわかる。ジニは、自分の体験を通して生きていることを確認し、生きていくことを選択していくのだ。

《参照/引用文献》
『韓国の経済発展とベトナム戦争』 朴根好●
(御茶ノ水書房、1993年)

(upload:2010/10/01)
 
《関連リンク》
ヤン・イクチュン 『息もできない』 レビュー ■
ファン・ドンヒョク 『トガニ 幼き瞳の告発』 レビュー ■

 
 
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