皮膚を売った男
The Man Who Sold His Skin


2020年/チュニジア=フランス=ベルギー=スウェーデン=ドイツ=カタール=サウジアラビア
/アラビア語・英語・フランス語/カラー/104分/シネマスコープ
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(初出:)

 

 

鏡のトリック、鏡を多用した演出、タメのないドラマ
現実とは一線を画す批評性と遊び心に満ちた世界

 

[Introduction] 『皮膚を売った男』は、チュニジア出身の女性監督カウテール・ベン・ハニア監督が、ベルギーのアーティスト、ヴィム・デルボアの作品「TIM」にインスパイアされ、オリジナル脚本として書き上げた。キャストには、普段はシリアで弁護士として働いており、ほとんど演技経験がないヤヤ・マヘイニが映画初出演にして主演を務めた。そのほかには、『007 スペクター』(15)、『オン・ザ・ミルキー・ロード』(16)のモニカ・ベルッチ、『Uボート:235 潜水艦強奪作戦』(20)のケーン・デ・ボーウ、更には本作に影響を与えた芸術家ヴィム・デルボアも挑発的な役どころを演じている。(プレス参照)

[Story] シリア難民のサムは、偶然出会った芸術家からある提案を受ける。それは、大金と自由を手に入れる代わりに、背中にタトゥーを施し彼自身が“アート作品”になることだった。美術館に展示され世界を自由に行き来できるようになったサムは、国境を越え離れ離れになっていた恋人に会いにいく―しかし、思いもよらない事態が次々と巻き起こり、次第に精神的に追い詰められてゆく。世界中から注目されるアート作品“サム”を待ち受ける運命とは…。

[以下、短いレビューになります]

 シリアのラッカに暮らす主人公サム・アリは、良家の子女である恋人アビールに電車内でプロポーズしたことが仇となり、国家反逆罪とみなされて投獄されてしまう。しかし取り調べにあたった兵士が親戚だったことから逃亡の機会を与えられ、姉の協力でレバノンに脱出する。そこでアーティストのジェフリーに出会ったサムは、自身がアート作品になることで金と移動の自由を得る。

 監督のカウテール・ベン・ハニアは、ヴィム・デルボアの作品「TIM」にインスパイアされた本作のアイディアについて、以下のようにコメントしている。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   カウテール・ベン・ハニア
Kaouther Ben Hania
撮影監督 クリストファー・アウン
Christopher Aoun
編集 マリー=エレーヌ・ドゾ
Marie-Helene Dozo
音楽 アミン・ブーハファ
Amine Bouhafa
 
◆キャスト◆
 
サム   ヤヤ・マヘイニ
Yahya Mahayni
アビール ディア・リアン
Dea Liane
ジェフリー ケーン・デ・ボーウ
Koen de Biuw
ソラヤ モニカ・ベルッチ
Monica Bellucci
ジアッド サード・ロスタン
Saad Lostan
保険業者 ヴィム・デルボア
Wim Delvoye
-
(配給:クロックワークス)
 

「主人公のサムは自分の背中を「アート作品」として売ることで、思いもよらない形で現代美術の世界へ足を踏み入れます。ファウストが悪魔と契約したように、恵まれた人と呪われた人とが契約を交わしたのです。現代美術と難民は全く異なる世界ではありますが、この2つの世界が映画の中で対比することで“自由”について考えさせられるものとなっています」(プレスより)

 本作は、このアイディアをどうとらえるかによって、その評価が変わるはずだ。シリアの悲劇や難民で思い出されるのは、マシュー・ハイネマン『ラッカは静かに虐殺されている』ワアド・アルカティーブ『娘は戦場で生まれた』などだが、このアイディアをシリアスにとらえ、本作に描かれるシリアや主人公サムをそうした作品で浮き彫りにされる現実と単純に結びつけてしまうと、予想を裏切るような展開に肩透かしを食らわされる。実際、筆者がざっとチェックしてみた海外評には、その展開が説得力に欠けるとか、風刺や批評として機能していないといった意見も見られた。

 だが本作は、このアイディアだけに頼っているわけではない。印象に残るのは、ハニア監督がリアリズムにまったくこだわっていないことだ。演出でいえば、本作のドラマにはほとんどタメがない。テンポよく局面が変わり、人物の内面を想像するような余地はない。それはすべて意識的なものだろう。

 そして、随所に遊びや皮肉なユーモアをちりばめている。本作の導入部には、留置場から逃亡したサムが、身を隠して移動する場面がふたつあるが、そのどちらにも監督のセンスが表れている。

 ひとつは、サムが知人か友人のトラックの荷台に隠れて、アビールが住む立派な屋敷の前までやって来る場面。そのトラックが運んでいる荷物がちょっと変わっている。中身は不明だが、どれもチェック柄の布に包まれている。その荷物のひとつが動き出し、チェック柄のシャツを着たサムであることがわかる。これは明らかに遊んでいる。

 もうひとつは、サムが姉の運転する車に隠れて国境の検問所を通り抜け、レバノンに脱出する場面。無事に検問所を抜けてから、サムが助手席のなかに隠れていて、窒息しそうになっていたことがわかる。滑稽なのは、検問所を通るとき、そのシートのうえに猫が座っていることだ。その猫とアリの対比がなんとも滑稽なのだ。

 しかも、これらのエピソードは、ジェフリーと出会ったサムの決断と無関係ではない。サムは、逃亡し、国境を越えるために、トラックの荷物や車の座席にならなければならなかった。そんな彼が、アビールに会うために今度はアート作品になる。ただし、もう身を隠す必要はない。大手を振ってヨーロッパに行ける。

 だが、実際に自分が作品になってみてはじめて、それがいかに窮屈なものであるのかを思い知る。有名カメラマンは、サムの背中のタトゥーだけを撮影し、人としてのサムは存在しないに等しい。美術館の観覧者もアリの背中だけを鑑賞し、その他の部分は額縁のようなものに過ぎない。そんな美術館で、先生に引率された学童のひとりが、遠い国からやって来る人がみなタトゥーを入れるのか、素朴な疑問を抱き、それを耳にしたサムが敏感に反応し、彼を人として見ているその学童に好感を抱き、作品という立場を無視して学童に向かってしゃべりだす展開も面白い。

 こうしたエピソードを踏まえれば、アリを単純に『ラッカは静かに虐殺されている』『娘は戦場で生まれた』などが浮き彫りにする現実と結びつけても意味がないことがわかる。

 さらに、鏡の効果も見逃せない。本作では、方向感覚を失うような冒頭の鏡のトリックが入口となり、ドラマのなかでも鏡が多用され、現実とは一線を画す批評性と遊び心に満ちた世界が切り拓かれ、エンタメにまとめあげられている。タメのないドラマや鏡、スカイプやテレビから浮かび上がるのは、終盤に盛り込まれるイスラム国(IS)のイメージも含めある意味でみな薄っぺらな記号であり、そんな記号で遊んでしまうところが挑発的で面白い。

 

(upload:2021/11/08)
 
 
《関連リンク》
マシュー・ハイネマン 『ラッカは静かに虐殺されている』 レビュー ■
ワアド・アルカティーブ 『娘は戦場で生まれた』 レビュー ■
オサーマ・モハンメド 『シリア・モナムール』 レビュー ■

 
 
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