はじまりへの旅
Captain Fantastic


2016年/アメリカ/カラー/119分/スコープサイズ/
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(初出:『はじまりへの旅』劇場用パンフレット)

 

 

父を超え、世界に踏み出すための旅

 

 マット・ロス監督の『はじまりへの旅』では、山奥の森で社会から隔絶した生活を送る一家が、亡き母の最期の願いを叶えるために旅に出る。彼らはその旅のなかで壁にぶつかり、対立も表面化する。

 この映画を観ながら、ピーター・ウィアー監督の『モスキート・コースト』(86)のことを思い出す人は少なくないだろう。『モスキート・コースト』では、消費社会に批判的な発明家アリーが、アメリカの文明を捨て、家族を連れてホンジュラスのモスキート・コーストに移住し、そこに理想郷を築こうとする。だが、やがて歯車が狂いだし、アリーは独善に陥り、家族が翻弄されていく。

 2本の映画の共通点は、主人公一家が文明と自然の狭間で苦闘を余儀なくされることだけではない。より重要なのは、どちらの物語にも神話的な要素が盛り込まれ、イニシエーション(通過儀礼)が鮮やかに描き出されることだ。息子にとって母親は最初の愛情の対象となるため、彼は父親に反発し、排除しようとする。フロイトはそんな関係を、ギリシア悲劇「オイディプス王」(オイディプスが父ライオスを殺し、母イオカステと結婚する)になぞらえ、エディプス・コンプレックスと名づけた。2本の映画には、この“父殺し”というテーマが埋め込まれている。

 『モスキート・コースト』では、独善に陥ったアリーに、長男のチャーリーが反発する。彼は母親を説得し、父親を置いてアメリカに戻ろうとする。結局、アリーは自ら招いたトラブルで重傷を負い、息子に見放される。そしてチャーリーは最後にこのように語る。「父を信じていた頃、世界は小さく、年老いていた。父が死んだ今、世界は限りなく広い」。彼の言葉は、父殺しがイニシエーションになっていることを物語る。

 この『モスキート・コースト』と比較してみると、『はじまりへの旅』では、共通するテーマが独自の表現でさらに深く掘り下げられていることがわかる。

 その冒頭では、ボウドヴァンが鹿を仕留める姿が描かれる。父親のベンはそんな長男に対して、「今日、少年は死んだ。これでお前は男だ」と告げる。この映画はまさしくイニシエーションから始まる。だが、物語が進むにつれて、この儀式が機能しているとは思えなくなる。ボウドヴァンは明らかに女の子に関心を持っているが、自分から話しかけることもできない。そんな彼に自分の成長を実感させるのは、旅の途上で出会ったクレアと過ごす短い時間なのだ。これらのエピソードは、ベンが授けるイニシエーションが現実とずれていること、ボウドヴァンが父親を信じている時期から抜け出していないことを物語る。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   マット・ロス
Matt Ross
撮影監督 ステファーヌ・フォンテーヌ
Stephane Fontaine
編集 ヨセフ・クリングス
Joseph Krings
音楽 アレックス・ソマーズ
Alex Somers
 
◆キャスト◆
 
ベン   ヴィゴ・モーテンセン
Viggo Mortensen
ジャック フランク・ランジェラ
Frank Langella
ボウドヴァン(ボウ) ジョージ・マッケイ
George MacKay
キーラー サマンサ・アイラー
Samantha Isler
ヴェスパー アナリス・バッソ
Annalise Basso
レリアン ニコラス・ハミルトン
Nicholas Hamilton
サージ シュリー・クルックス
Shree Crooks
ナイ チャーリー・ショットウェル
Charlie Shotwell
クレア エリン・モリアーティ
Erin Moriarty
-
(配給:松竹)
 

 そこで際立ってくるのが、次男のレリアンの存在だ。彼がこの映画におけるイニシエーションの鍵を握ることは、早い段階から示唆されている。ベンの教育方針では読書が重要な位置を占めているが、レリアンが読んでいるのはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』であり、そこには父殺しというテーマが盛り込まれている。さらに、ベンが子供たちに母親の死を告げたとき、レリアンは激昂してナイフを手にし、父親に襲いかかろうとする。おそらく彼は、ボウドヴァンのように父親と買出しに行くこともなく、閉ざされた環境のなかで最初の愛情の対象である母親と深く繋がっている。これはまさに父殺しの関係といえる。

 しかし、脚本も手がけているマット・ロス監督は、ただ神話的な要素に寄りかかっているだけではない。見逃せないのは、世界を代表する知識人ノーム・チョムスキーと一家の関係だ。父親の影響で一家はチョムスキーを崇拝している。だが、彼らがチョムスキーの日を祝う場面が物語るように、レリアンだけが反発している。では彼は、チョムスキーを受け入れていないのか。決してそうではない。

 チョムスキーに対する見方を変えると、この図式が見事に逆転する。レリアンを除く一家へのチョムスキーの影響は、主に左翼的な政治姿勢に表れている。そのチョムスキーは、政治的な発言や活動以前に、まずなによりも人が常に自分で考える手助けをしようとしてきた。レリアンは、子供たちのなかでただひとりだけその精神を受け止め、父親を絶対視するのではなく、自分で考えている。そして、その結果としての反発が家族を変えていく。

 この映画における父殺しには、チョムスキーが深く関わっている。だから、髭を剃り落とし、生まれ変わったベンとレリアンが、チョムスキーの言葉を通して和解するのだ。だが、イニシエーションはまだ終わりではない。息子から見た父殺しは、父親から見れば、母親の庇護下にある子供たちを母親から引き離し、現実というより大きな世界に送り出すための儀式でもある。母親の最期の願いを叶える場面は、一家にとってそんな重要な意味も持っている。

 この映画は、現実からずれた偽りのイニシエーションで始まり、現実と向き合う真のイニシエーションで幕を下ろすことになる。


(upload:2017/09/05)
 
 
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