詐欺師が主人公の映画であれば、そこには騙す者と騙される者の関係が描かれるはずだが、実際にはそんな関係は映画のごく一部を占めているに過ぎない。
ホステスの未知子は、すぐにクヒオが詐欺師だと見抜くが、気づかぬふりをして逆に彼を利用しようとする。最初はクヒオにあまり関心を示さなかった学芸員の春が彼になびくのは、職場で不愉快で不毛な三角関係に巻き込まれた腹癒せと見るべきだろう。
献身的なしのぶは、最初は確かに騙されているが、クヒオが期待する以上に軍人の世界について勉強した結果、どこかで彼の正体に気づいていたように見える。彼女は、詐欺師ではなく人間としての彼を好きになっているのだろう。というように、クヒオと女たちの間には、それぞれに目的は違うが、お互いに依存する関係がある。
一見したところでは一方的な関係に見えながら、実はお互いに相手を必要としていて関係が成立している。吉田監督が関心を持っているのはそういう関係であり、実際、一方的に見える関係には、しばしば依存しあうような関係が潜んでいるものだ。
■■『パーマネント野ばら』におけるなおこと親友たちの関係■■
そして、新作の『パーマネント野ばら』にも、依存しあう関係がある。但し、その関係が意味するものは、前2作とはまったく違う。吉田監督は、より深く繊細な感情を炙り出している。
映画の舞台は地方にある海辺の田舎町だ。離婚して一人娘のももを連れて故郷に戻ってきたヒロインのなおこは、母親のまさ子が営む町で一軒だけの美容室を手伝っている。そのまさ子の夫のカズオは、外に作った女の家に入り浸っている。なおこを取り巻く女たちはみな男で苦労し、美容室は、彼女たちが愚痴をこぼし、鬱憤を吐き出すための集会所にもなっている。
なおこには、みっちゃんとともちゃんという親友がいる。フィリピンパブを経営しているみっちゃんは、店の女の子に平気で手を出し、金の無心ばかりする夫のヒサシに振り回されている。そんな彼女は、ラブホテルから出てきた夫の浮気相手を車で轢き殺そうとして、自分が病院に運ばれることになる。ともちゃんは絶望的に男運が悪く、ダメ男から散々な仕打ちを受けてきた。現在の夫は、ギャンブルで借金を作り、行方をくらましている。どちらも悲惨である。
一方、なおこ自身には、高校教師のカシマという交際相手がいて、彼女は、自分の娘や親友たちの目を避けるようにしてデートを重ねている。
そんなドラマからは、様々なかたちで鬱憤を吐き出するみっちゃんやともちゃんと、それを受け止めるなおこという一方的な関係が浮かび上がってくる。しかし、次第になおこの世界が揺らぎだし、一方的な関係が大きく変化する。みっちゃんやともちゃんもまた、なおこを受け止めているということだ。彼女たちはお互いを必要としているが、その関係は前2作とは違う。前2作では、あくまで個人それぞれの事情や欲望によって関係が成立していたが、この映画では、双方の間に深い共感がある。
病院に運ばれたみっちゃんはなおこにこう語る。「どんな恋でもないよりましやき…好きな男がおらんなるゆうて、うちは我慢できのよ」。夫のユウジを亡くしたともちゃんはなおこにこう語る。「人は二度死ぬがやと。人の心の中におらんようになったら、いよいよ最後やと。今度こそ、本当に死ぬ」。そして、なおこの世界が明らかになっていくとき、そんな親友たちの言葉が、実はなおこの心の声でもあったことに気づく。だから、彼女たちの関係からは、深い痛みと優しさが浮かび上がってくる。
この映画はそれだけで十分に感動的だが、そんな優しさで物語を締め括るわけではない。ラストで、ふたりの親友となおこの決定的な違いが鮮明になる。それは、なおこが母親でもあるということだ。 |