バッシング

2005年/日本/カラー/82分/ヴィスタ/モノラル
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(初出:「ぴあ」2006年6月1日号)

 

企画化された社会と規格外のヒロイン

 

 小林政広監督の『バッシング』は、イラクで起こった日本人人質事件をヒントにした作品だが、この映画の世界に入り込めるかどうかは、どれだけ実際の出来事と距離を置き、独立した作品として観られるかにかかっている。この映画と事実を照らし合わせ、正確さやリアリティを問題視し、批判することには何の意味もない。

 小林監督は、実際の出来事を掘り下げようとはしていない。彼が描いているのは、完全に疎外された一人の女性が、この国の片隅で、いかなる選択肢を見出し、生きられるのかだけだと言っても過言ではない。

 ヒロインの有子には、友だちもなく、取得もない。信念や正義感があるわけでもない。ボランティアが自分にとって逃避に過ぎないこともわかっている。そんな彼女と両親を取り巻くのは、規格化された世界だ。三人はそれぞれの職場で、作業ラインに象徴される単調な作業を繰り返す。

 彼らは、人間的な能力も個性も要求されず、仕事に無関係な問題を抱えただけでも不要とされる交換可能な存在だ。有子はラブホテルをクビになり、父親も工場をクビになる。その結果、父親は自殺するが、有子は生きつづける。父親は、社会に帰属していなければ生きられないが、有子は、常に規格外の人間なのだ。

 この規格化と規格外の図式は、コンビニのおでんをめぐるエピソードを通してさらに鮮明になる。有子がおでんの容器やツユダクに執着するのは、それが規格化された世界のなかでかろうじて自己主張できる隙間であるからだ。彼女に反感を持つ連中に、その規格外のおでんを台無しにされれば、当然、彼女はまた買いに行く。だがやがて、コンビニからも追い出され、マクドナルドに行く彼女には、もはやそんな隙間すら残されていない。

 しかし、映画の終盤で、有子がスーパーに並ぶ安価な菓子を買い漁る時、図式が逆転する。彼女は、規格化された商品でしかない菓子によって、悲惨な生活を送る子供たちの笑顔に出会える。たとえ逃避であれ、一時の喜びであれ、そこには彼女の世界があるのだ。


◆スタッフ◆

監督/脚本   小林政広
撮影 斉藤幸一
編集 金子尚樹

◆キャスト◆

高井有子   占部房子
高井孝司 田中隆三
高井典子 大塚寧々
井出 香川照之

(配給:バイオタイド)
 

 

(upload:2006/10/14)
 
 
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