ゲイリー・ウォルコウという監督は、作家のオブセッションによほど強い関心があるようだ。昔公開された『ディックの奇妙な日々』は、SF作家フィリップ・K・ディックの実生活と小説にインスパイアされた作品だったが、今度はバロウズとその妻ジョーンの物語である。しかもかなり細かい事実まで検証したマニアックな内容になっている。
バロウズが"ウィリアム・テルごっこ"でジョーンを射殺してしまったのは有名な話だ。彼は、妻の死がなければ作家にならなかったと「おかま」の序文に書いている。この事件が起こったのは51年のことだが、44年にバロウズの周辺でもうひとつの事件があった。友人の若者ルシアン・カーが彼に付きまとうデイヴ・カマラーを刺殺したのだ。映画はこのふたつの事件の結びつきを掘り下げていく。
注目したいのはナイフだ。確かに映画が描くように、ルシアンはボーイスカウト用のナイフでデイヴを殺した。そしてバロウズもそっくりなナイフを持っていて、妻を射殺してしまう日の朝、そのナイフを研師に出そうとした時、精神的に最悪の状態に陥り、思わず涙が溢れてきたと伝えられている。この符合には興味深いものがある。
ウォルコウは間違いなく、このボーイスカウト用のナイフにホモセクシュアリティを見ている。周囲の男たちの羨望の的だったルシアンは、デイヴが彼を無理やり自分のものにしようとしたとき、このナイフでデイヴを刺殺した。一方51年のメキシコで、バロウズは男の恋人に深入りし、ジョーンとの関係が微妙になっていた。彼がナイフを研師に出す時に、精神的に最悪の状態に陥るのは、やはりホモセクシュアリティと結びついているのだ。
映画では言及されないが、44年の事件が起こったとき、バロウズは、デイヴが死を覚悟していたと考えたらしい。ルシアンに自分の想いが受け入れられないなら、解決法は死しかないと彼が悟っていたということだ。では、バロウズとジョーンは彼らの運命を決定的なものにした"ウィリアム・テルごっこ"の時、お互いに見つめあいながら何を思っていたのか。その答は、観客ひとりひとりの解釈に委ねられている。
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