愛・アマチュア
Amateur  Amateur
(1994) on IMDb


1994年/アメリカ/カラー/106分/1:1.66/ドルビーデジタルSR
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(初出:「STUDIO VOICE」、若干の加筆)

 

 

不器用な手探りから引き出される特別な感情

 

 ハル・ハートリーの新作と聞いて、個人的には期待と不安が半々といったところだったが、その映画『愛・アマチュア』は、そんな半端な気持ちを完全に払拭してみせる素晴らしい作品だった。

 これまで公開されたハートリーの二本の作品は、人によってどちらかに好みが偏ることが多いようだ。筆者の場合は、『トラスト・ミー』は実に新鮮で、細部まで脳裏に焼きついているが、『シンプルメン』についてはいまひとつのれなかった。それだけに、この監督が今後どういう方向に進もうとしているのかよく見えないところがあったが、この新作にはブレがなく、ふっ切れている。

 たとえば、作品のタイトルである。原題の“アマチュア”について、ハートリーは、「慣れすぎることのない<ノン・プロフェッショナリズム>がこの映画のベースにあってくれたらいい」というようなことを語っている。才気あふれるインディーズ出身の監督が、いつの間にか器用にまとまった作品を作るようになっていたということが珍しくないだけに、この言葉には真実味がある。そして確かに、この監督の最大の武器は、彼の映画の登場人物の性格にも共通するある種の“不器用さ”にある。筆者の目から見ると、『シンプルメン』には、この不器用さの魅力が少し欠けていように感じられる。

 それからハートリーの作品といえば、これまでずっと地元ロング・アイランドが舞台になっていたが、この四作目では、初めてニューヨークを舞台にしている。普通であればこの程度の変化は、とりたてて注目することでもないが、それが立派な冒険に思えてくるところが、また何ともこの監督らしい。なぜそんなふうに思えるかといえば、『トラスト・ミー』を思いだしてもらえば、おわかりいただけるだろう。

 あの映画は、ロング・アイランドの不毛なサバービアに生まれ育ち、ろくに旅行もしたことがないというハートリーが、自分の世界に対して、安易に背を向けたり、逃避することなく、不器用なほどに素直な視線を注いでいることをよく物語っているからだ。そうした洞察は、新作から浮かび上がってくる鮮烈な男女の触れ合いにおいても不可欠のものとなっている。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本/製作   ハル・ハートリー
Hal Hartley
製作 テッド・ホープ
Ted Hope
撮影 マイケル・スピラー
Michael Spiller
編集 スティーヴン・ハミルトン
Steven Hamilton
音楽 ジェフ・テイラー、ネッド・ライフル
Jeff Taylor, Ned Rifle
 
◆キャスト◆
 
イザベル   イザベル・ユペール
Isabelle Huppert
トーマス マーティン・ドノヴァン
Martin Donovan
ソフィア・ルーデンス エリナ・レーヴェンソン
Elina Lowenson
エドワード ダミアン・ヤング
Damian Young
殺し屋ヤン チャック・モンゴメリー
Chuck Montgomery
殺し屋カート デイヴィッド・サイモンズ
David Simonds
-
(配給:フランス映画社)
 

 このふっきれた新作から振り返ってみるなら、ハートリーの魅力は、ライフスタイルからフィルム・ノワールのような映画のジャンルまで、様々な紋切り型を引用しつつ、生きていくことに不器用な登場人物をそんな枠組みから少しずつ逸脱させ、型にはまらない男女の触れ合いをハッとするような瑞々しさで描きだすところにあるといえる。

 それは、『トラスト・ミー』で、テレビや潔癖症など、サバービアの画一的なライフスタイルのイメージを実にさり気なく強調するだけで、妊娠して彼氏に棄てられたり、テレビ嫌いという程度のとりたてて際立った性格を備えているとはいえない男女を、月並みなアウトロー顔負けの魅力的な存在に変えてしまうところに端的に表れている。

 それでは『愛・アマチュア』はといえば、ハートリーは、舞台をニューヨークに変えたことから、もっと大胆な紋切り型を自由に取り込み、観客を冒頭からぐいぐい引き込んでいくような人物と設定を作り上げている。

 新作のヒロイン、イザベルは、修道院を抜けだし、せっせとポルノ小説を書こうとするが、出来上がった作品がポエムになってしまうような何とも不器用な聖女である。そして、このヒロインに絡んでくるのが、記憶喪失の男トーマスとポルノ女優のソフィアである。そのソフィアには、かつてトーマスからヤクを教えられ、ポルノ映画に出演させられた苦い体験があり、記憶を失っているとはいえ彼のことをひどく恐れている。

 こうした設定で、犯罪組織に深く関わっていたていたトーマスが、追われる身になったとき、彼らは、知らない、思いだせない、語りたくない者たちの皮肉な運命共同体となる。そこで、いかにもハートリーらしいのは、三者が、危険が迫る状況のなかで、心を通わせていくといった展開には全然ならないことである。彼らは、『トラスト・ミー』で主人公の若者が、宙に舞うヒロインのマリアを不器用に受けとめたように、お互いの感触を求めて滑稽な手さぐりを繰り返していく。そして、あげくの果てに、聖女イザベルは、むしろ知らないということを受け入れ、いま目の前にいる人間の物語を引き受けていこうとする。

 ハートリーは、『トラスト・ミー』では “トラスト(映画の原題)”という言葉から、とても深い意味を引きだしてみせたが、この『愛・アマチュア』では、ヒロインが、ある男を“知っている”と認めるというただそれだけの行為を通して、なかなか言葉では表現しがたい特別な感情を鮮やかに浮き彫りにしてみせるのだ。


(upload:2013/10/14)
 
 
《関連リンク》
『ヘンリー・フール』 レビュー ■
『トラスト・ミー』 レビュー(『サバービアの憂鬱』所収) ■

 
 
 
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