このふっきれた新作から振り返ってみるなら、ハートリーの魅力は、ライフスタイルからフィルム・ノワールのような映画のジャンルまで、様々な紋切り型を引用しつつ、生きていくことに不器用な登場人物をそんな枠組みから少しずつ逸脱させ、型にはまらない男女の触れ合いをハッとするような瑞々しさで描きだすところにあるといえる。
それは、『トラスト・ミー』で、テレビや潔癖症など、サバービアの画一的なライフスタイルのイメージを実にさり気なく強調するだけで、妊娠して彼氏に棄てられたり、テレビ嫌いという程度のとりたてて際立った性格を備えているとはいえない男女を、月並みなアウトロー顔負けの魅力的な存在に変えてしまうところに端的に表れている。
それでは『愛・アマチュア』はといえば、ハートリーは、舞台をニューヨークに変えたことから、もっと大胆な紋切り型を自由に取り込み、観客を冒頭からぐいぐい引き込んでいくような人物と設定を作り上げている。
新作のヒロイン、イザベルは、修道院を抜けだし、せっせとポルノ小説を書こうとするが、出来上がった作品がポエムになってしまうような何とも不器用な聖女である。そして、このヒロインに絡んでくるのが、記憶喪失の男トーマスとポルノ女優のソフィアである。そのソフィアには、かつてトーマスからヤクを教えられ、ポルノ映画に出演させられた苦い体験があり、記憶を失っているとはいえ彼のことをひどく恐れている。
こうした設定で、犯罪組織に深く関わっていたていたトーマスが、追われる身になったとき、彼らは、知らない、思いだせない、語りたくない者たちの皮肉な運命共同体となる。そこで、いかにもハートリーらしいのは、三者が、危険が迫る状況のなかで、心を通わせていくといった展開には全然ならないことである。彼らは、『トラスト・ミー』で主人公の若者が、宙に舞うヒロインのマリアを不器用に受けとめたように、お互いの感触を求めて滑稽な手さぐりを繰り返していく。そして、あげくの果てに、聖女イザベルは、むしろ知らないということを受け入れ、いま目の前にいる人間の物語を引き受けていこうとする。
ハートリーは、『トラスト・ミー』では “トラスト(映画の原題)”という言葉から、とても深い意味を引きだしてみせたが、この『愛・アマチュア』では、ヒロインが、ある男を“知っている”と認めるというただそれだけの行為を通して、なかなか言葉では表現しがたい特別な感情を鮮やかに浮き彫りにしてみせるのだ。 |