コットンマウス・キングスもまた、そんなサバーバン・ギャングのスタンスで彼らを取り巻く現実を表現しているといえる。先述した曲<Suburban Life>には、こんな歌詞も盛り込まれている。
コットンマウス・キングスもまた、そんなサバーバン・ギャングのスタンスで彼らを取り巻く現実を表現しているといえる。先述した曲<Suburban Life>には、こんな歌詞も盛り込まれている。「警察の拷問には耐え切れなくなりそうだったぜ/ドラッグをやってる白人の強盗、なりたがりやめ」、「俺たちには仕事はねえ/さあどうする、白人マイノリティ」
そして、コットンマウス・キングスがこの夏にリリースしたデビュー・アルバム『ロイヤル・ハイネス』(<Suburban Life>は3曲目に収められている)を聴くと、彼らが置かれた状況とそれに対するスタンスがより明確になるだろう。
たとえば、サバービアの住民パトロールのことを歌った7曲目の<Spies>のなかには、「ここはジョン・ウェイン好きの共和党人間の地域だぜ」とか「あいつらは、俺たちに聖書の言葉を押し付けやがった」という表現がある。さらに、11曲目の<Dirt Slang>には、「俺たちの口から吐き出されるのは、郊外のエボニックス(黒人英語)さ」とか「これはサイケデリック・ヒップホップ・パンク・ロックなんだぜ」という表現がある。
彼らは保守的な土地のなかで、黒人の言葉とヒップホップのスタイルを取り込み、過激で挑発的であると同時にサバービアの開放的なパーティ感覚も備えた独自のサウンドを作っている。そんなアプローチは、80年代からの流れを振り返るととても興味深く思える。
80年代、キリスト教右派勢力の支援を背景に政権の座についたレーガンは保守的な政策を進め、これまで公民権運動によって拡張してきた黒人の立場は後退を余儀なくされ、そんな状況からヒップホップが生まれた。白人のメディアの支配に対して都市のゲットーに押し込まれた黒人たちは、その苛酷な現実をスクラッチ・ノイズにのせてぶちまけた。
ところがその一方で、『サバービアの憂鬱』でも触れているように、保守的なサバービアでは、出口がないために孤立する若者が増加し、彼らは豊かな生活のなかで白人マイノリティとなり、90年代には自分たちの立場をゲットーの黒人とダブらせるようになった。それゆえにコットンマウス・キングスは、その苛立ちや怒りをエボニックスとヒップホップで表現するのだ。
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