パリのグラスは、自分の音楽に満足できず、悶々とした日々を送っていたが、そこに幸運な出来事が起こる。彼は、映画「チャパクア」のサウンド・トラック製作に参加することになる。そのサントラを担当していたのが、まさにラヴィ・シャンカールその人だったのだ(ジャズに詳しい方ならご存知のように、
当初この映画の音楽を担当していたのはオーネット・コールマンだったが、出来上がった音楽があまりにも過激だったために、彼の「チャパクア組曲」は幻のサントラとして発売されることになった)。サントラのレコーディングにあたって、シャンカールのスコアを編作する必要が生まれ、グラスにその仕事が回ってきたというわけだ。
シャンカールは当時のことをこんなふうに回想している。「お金を稼ぐために、彼(グラス)は、できるだけいろいろなセッションに参加していた。私はたまたまその時、映画「チャパクア」のサントラをレコーディングしていて、そこにセッションのミュージシャンとして彼がやってきたんだ」。
インドの伝統音楽との出会いは、グラスのキャリアのターニング・ポイントになった。グラスは現在でも、シャンカールと彼のグループのタブラ奏者アラ・ラーカが、彼の創作に根本的な影響を及ぼしていると語っている。シャンカールは、インド音楽に関心を持ったグラスをこのように回想する。
「彼(グラス)に出会った瞬間に、彼がとても興味を持っていることがわかった。彼は、ラーガとターラ(インド音楽で打楽器が受け持つ強弱のリズム型、拍子)について私に質問をはじめ、すべてのスコアを書いていった。一週間、とにかくたくさんの質問をしてきた。彼が本当に興味を持っているのがよくわかったので、短い間だったが彼に教えられることはみんな話した」。
グラスが魅了されたのは、シタールの神秘的な響きではなく、インド音楽の複雑な構造、特に北インドの音楽の反復されるリズム・パターンだった。そのパターンが、グラスにとって未知の時間の流れを作り上げていた。起承転結ともいうべきドラマティックな構造を持つ典型的な西洋音楽とは違って、インド音楽は、表面的に発展し、
どこかに進んでいくというようなことがなく、同じエネルギーのレベルをずっと維持しつづけるのだ。
インド音楽に触発されたグラスは、それから66年にインドに行って、先述のタブラ奏者アラ・ラーカについてインド音楽のリズムを学び、また、モロッコやアフリカなどにも赴き、非西欧諸国の音楽を研究する。そして、1967年にニューヨークに戻ってきたとき、彼の頭のなかにはミニマリズムの構想がしっかりと固まっていた。
ふたりの出会いについては、だいたいこのようなことになるが、その後のシャンカールとグラスについては、あまり解説の必要もないと思う。シャンカールは、多くのソロ作品に加えて、様々なアプローチで東洋と西洋の融合を試みる作品、あるいは、アンドレ・プレヴィンやズビン・メータの指揮するオーケストラと共演したり、
先述の「チャパクア」や「ガンジー」といった映画音楽の製作など、多方面に活躍の場を広げている。そして現在では、元タンジェリン・ドリームのピーター・バウマンが主宰するプライベート・ミュージックと契約し、作品を発表している。
一方グラスは、演出家ロバート・ウィルスンと組んだ「浜辺のアインシュタイン」、ガンジーを題材にした「サティヤグラハ」、エジプトの一神教社会を題材とした「アクヘナトン」、写真家エドワード・マイブリッジを題材にした「フォトグラファー」などオペラ/舞台の音楽を中心に、「コヤニスカッティ」や「ミシマ」といった映画音楽も精力的にこなし、
ロック/ポップのフィールドのミュージシャンを多数起用したヴォーカル・アルバム「Songs from Liquid Days」のような異色の作品も発表したりしている。
「パッセージズ」は、プライベート・ミュージックにおけるシャンカールの3作目の作品となる。シャンカールとグラスのコラボレーションに意味があることはもはや説明の必要はないだろう。
このアルバムには、全6曲が収録されている。シャンカールとグラスは、3曲ずつ曲を書いている。具体的には@DEがシャンカールのオリジナルで、ABCがグラスのオリジナルだ。このうち@DとACについては、ふたりが曲を交換してアレンジし、ACEをシャンカールと彼のアンサンブルが、@BDをグラスのアンサンブルが演奏している。
そんなふうに書いてもぴんとこないかもしれないが、全6曲の並べ方には、工夫が凝らされている。各曲を作曲、アレンジ、演奏の組み合わせで比較してみると、@がシャンカール―グラス―グラス、Aがグラス―シャンカール―シャンカール、Bがグラス―グラス―グラス、CがAに同じ、Dが@に同じ、そしてEがシャンカール―シャンカール―シャンカールということになる。
つまり、作曲、アレンジ、演奏に関する両者のアプローチをシンメトリックに対比しながら、彼らの音楽を楽しむことができるようになっているのだ。
グラスの音楽は、最近では西欧的なドラマティックな構造による展開が目立っていたが、ここでは、そうした構造とゆったりとした時間の流れが自然なバランスを作り上げている。またシャンカールに関しては、作曲面で時として形式的な固さのようなものを感じることがあったが、ここにはそういった印象はなく、アンサンブルのアレンジが洗練され、
多彩なコラボレーションを見せている。シャンカールとグラス、このアルバムが双方にとって意義のある再会になったことは間違いないだろう。 |