ウィトキンは、1939年にニューヨークのブルックリンに生まれた。父親はユダヤ系で母親はカトリックだった。彼は三つ子の兄弟のひとりとして生まれたが、そのうち無事に生き延びたのは男の兄弟ふたりで、 もうひとりの女の子は流産している。両親は兄弟がまだ幼い頃に離婚し、彼らは母親の厳格なカトリックの環境のなかで育てられ、父親は定期的に養育費を持って現れるだけの存在になった。ウィトキンの半生は、 その出発点から欠落や喪失の翳りをおびている。
ウィトキンが6歳の時、彼は強烈な出来事に遭遇する。それは、兄弟が母親に手を引かれて教会に向かう途上で起きた3台の車の衝突事故だった。彼は、横転した車から何かが転がってくるのを見た。それは彼の足元で止まった。 小さな女の子の首だった。彼はかがみ込んでその顔に触れ、話しかけようとしたが、その前に誰かに引き離されてしまったのだという。
ウィトキンは16歳のときに初めてカメラを手にし、写真に関する何冊かの本を読み、写真を撮りはじめた。彼が強い関心を示したのは、コニー・アイランドのフリークス・ショーだった。 彼はそのショーに足しげく通い、3本の足を持つ男や小人、両性具有者の写真を撮り、しかもそれだけにとどまらず、最初の性体験の相手としてその両性具有者を選んでもいる。
▼Thomas A. Marino監督のドキュメンタリー『Joel-Peter Witkin: An Objective Eye(原題)』(13)