司馬遼太郎は1985年にカリフォルニアと東海岸を旅し、『アメリカ素描』にまとめた。本書の出発点はウェブ時代を念頭に置いたこのアメリカ紀行の更新にある。著者は司馬と同じように、アメリカが人工国家であり多民族国家であることに徹底的にこだわり、普遍的な文明としてのウェブを浮き彫りにしていく。
本書の内容は大きく二つに分けられ、前半では地域的な多様性や経済の仕組みなど社会の基盤が明らかにされる。そこで鍵を握るのが州と連邦の二重構造だ。たとえば、著者がコンピュータ文化と基盤を共有すると考える東海岸を中心に形成された法文化や、鉄道網、電力網、電話網によってアメリカの中心となってきたワシントンDCは、統合へと向かう力を放ち続ける。
しかしこれに、多民族国家の縮図ともいえるニューヨークや大手ハイテク企業群を擁する保守の牙城テキサスといった地域が対抗する。議会図書館のデジタル所蔵プロジェクトに対して、民間でGoogle Booksのような図書館所蔵本のデジタル化が進められる。
さらにNPC(non-profit company)のようなチャリティの習慣に根ざしたマネーの還流システムも見逃せない。「連邦政府から見れば、連邦の中に州とは別に一種の経済的な自由領邦を認めるようなもの」であるからだ。
一方、後半では社会とウェブの関係の変化が具体的に列挙される。そこでは、多様な基盤に支えられた社会の有り様がウェブに投影され、ウェブの変容が今度は社会に逆照射されることで双方が密接に結びついていく。
その端的な例がオバマを勝利に導いた大統領選だろう。2008年の選挙では、ソーシャルネットワークが支持者を組織化するツールとして活用された。さらに2012年の選挙でも、キャンペーンに関わる活動や情報が一望できるアプリケーションによって、有権者の変容に合わせた選挙戦を展開することが可能になったという。
では、日本ではウェブが技術ではなく普遍的な文明としてどこまで受容されているのか。本書を読めばそのことを考えざるを得なくなるだろう。
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