ノートンが、舞台で演技の経験を積み上げてきたニューヨークに対して特別な愛着を持つのも、そんな現実と無縁ではない。この都市にはまだ文化の多様性が残されているからだ。ノートンが監督、製作にも乗りだした『僕たちのアナ・バナナ』は、ニューヨークの記憶やコミュニティが鍵を握る映画だ。幼なじみの親友であるユダヤ教のラビ、ジェイクとカトリックの神父ブライアンは、子供の頃にカリフォルニアに引っ越してしまったアナが戻ってきたことで、三角関係に陥る。しかし男たちは、信仰と恋愛の壁を友情で乗り越え、何よりも仕事を優先するビジネスウーマンだったアナも、異なる価値観に目覚めていく。
スパイク・リー監督の『25時』でも、ノートンはリーとニューヨークへの想いを共有している。この映画には、グランド・ゼロから夜空に伸びる光の塔やグランド・ゼロを見下ろす高級マンションなどを通して、9・11以後が強調され、それが、絶望の淵に立たされ、喪失感に苛まれる主人公モンティの心情と重なっていく。時として自分を見失う彼は、ニューヨークに生きる様々な人種に対する憎悪すら覚えるのだが、映画は結末で現実と幻想の狭間に、ある意味で『ファイト・クラブ』と対照的な未来への希望を描きだすのだ。
そして最後に、ノートンが映画化に情熱を傾けているジョナサン・レセムの異色のハードボイルド/青春小説『マザーレス・ブルックリン』にも触れておくべきだろう。ボスを殺した犯人を追ってニューヨークを彷徨う探偵ライオネルは、手足が勝手に動いたり、言葉が暴走するトゥーレット症候群というハンディを背負っている。つまりこの小説では、独自の感覚と論理に突き動かされる若者の視点を通して、ニューヨークという世界が再構築されることになるのだが、そんな主人公を演じられるのはおそらくノートンだけだろう。 |